2017/06/07 07:00

ご存知ですか? 6月7日は浪曲師の桃中軒雲右衛門が浪花節ブームに火をつけた日です

浪曲師の桃中軒雲右衛門 ©山川進治/文藝春秋
浪曲師の桃中軒雲右衛門 ©山川進治/文藝春秋

 いまから110年前のきょう、1907(明治40)年6月7日、浪曲師の桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん・くもえもん)が東京・本郷座で、忠臣蔵を題材とした『義士銘々伝』を口演して評判をとり、27日間連続興行という空前の大盛況となった。

 雲右衛門は、歌謡の一種である祭文語りの父について修業し、父の死後はその芸名「黒繁」を継いだ。のち浪曲(浪花節)に転向。だが、市川梅車(ばいしゃ)一座に客演中、梅車の妻で三味線弾きのお浜と駆け落ちし、関西でしばらく雌伏している。このころ壮士・宮崎滔天(とうてん)が弟子入りし、九州へ赴く。九州では滔天の人脈を通じ、当地の知識人の支援を得て、台本の提供まで受けた。『義士銘々伝』は、このとき提供された台本を雲右衛門が整理したものである。

『義士銘々伝』を演じるにあたり、雲右衛門は、伴奏も関西風の水調子(三味線の弦をゆるく張り、調子を低くしたもの)に、九州系の琵琶の手を加味して芸風を一新。1907年3月、3年ほど滞在した九州からふたたび東京へ向かった。この途上、神戸大黒座での口演を日露戦争の英雄・伊東祐亨(すけゆき)元帥が聴き、その縁で、兵庫・舞子へ避暑に来ていた有栖川宮妃に招かれる。これがきっかけで、人気に火がついたとされる。大阪、京都の口演は満員御礼となり、このあとも東海道を東京へと近づくごとに評判は高まった。ついに再上京をはたした雲右衛門は、宿の新橋から本郷座まで馬車で堂々と乗りこんだのである(朝日新聞社編『二十世紀の千人 第10巻 マージナル・ピープル』朝日新聞社)。

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