2017/12/31 11:00

たくろう、バニラボックス、四千頭身 歌人・山田航が選ぶ“2018年要注目芸人”

(c)ワタナベエンターテインメント
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 お笑いが大好きで昔からよく見ている。今年のM‐1グランプリも、ネット公開されていた予選映像を全部見た。2日かかった。疲れた。でも面白かった。

 私は普段短歌をやっているから、日常のだいたい6割くらいは短歌のことを考えている。そして3割くらいは、たぶんお笑いとかバラエティ番組のことを考えている。残りの1割が日常生活とか。でもたまに短歌とお笑いのことが頭の中で混じり合ってしまうこともある。

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 というのも、以前から「漫才と短歌は似ている!」と密かに思っているからだ。短歌の楽しみ方がわからない、という人にヒントを一つ送りたい。漫才を見るときと同じ気持ちで触れてみるんだ、と。

 漫才と短歌の似ているところ、それは「語り手の立ち位置」だ。漫才は舞台に立っている(主に)二人の漫才師が「語り手」である。そして、二人の会話の中に立ち現われてくる「語り手の主体」と、今その舞台に立っている生身の人間とは、基本的に同一視される。完全なフィクションではなく、現実の友人同士の雑談を聞いているのだと了解するお約束が、語り手と観客の間で共有される。たとえば、今年のM‐1決勝の最年少出場コンビだった「さや香」の漫才。ボケの新山士彦が「うたのおにいさんを知らない」という設定で会話をはじめる。現実的に考えれば知らないはずがない。しかし「うたのおにいさんを知らない架空の人物を演じている」と単純に言い切ることはできない。あくまで「さや香の新山士彦」というかたちで登場して会話を進めているからだ。漫才は、現実の人格と架空の人格が交錯する、きわめて特殊なコミュニケーション空間を生んでいる。

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