2017/12/25 20:00

スタジオジブリ 鈴木敏夫が日本映画黄金時代を語る新連載が『キネマ旬報』でスタート!(第一回『座頭市』と勝新太郎(1))

映画を作る人間も、最初は観客だった。スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫は1948年に愛知県名古屋市に生まれ、67年に上京するまで洋邦問わず、日常的に映画を観て育った。これは日本映画の黄金時代とほぼ一致する。この連載では鈴木敏夫が公開当時に観た映画体験を入り口として、ある映画とそれに関わった映画人の印象、その後に時代をあるいは海を越えて、作品と人が生き残ってきた魅力の源泉を探ることで、“面白い映画とは何か”、そして日本だけでなく世界の人々にも影響を与えてきた、ジブリ映画のプロデューサーとしての視点がどのように育まれていったのか探っていきたい。

親父と一緒に『座頭市物語』を観ましたが、衝撃でした

―今回取り上げるテーマは『座頭市』と勝新太郎。勝新太郎主演の『座頭市』シリーズは映画26本、TV100本が作られている。映画第1作『座頭市物語』(三隅研次監督)が公開されたのは62年4月18日。当時鈴木敏夫は中学生だった。

家の前に「黒川日劇」という映画館があって、松竹や日活を始めいろんな会社の映画が2~3日交替で上映されていました。僕は両親に連れられて小さい時から映画を観ていたんです。おふくろは洋画が専門、親父は日本映画でした。その親父が好きなスターが長谷川一夫や片岡千恵蔵。そして日活の石原裕次郎、大映の市川雷蔵と勝新太郎だったんです。親父と一緒に『座頭市物語』を観ましたが、衝撃でしたね。時代劇の主人公は、“旗本退屈男”や“遠山の金さん”といった幕府の木っ端役人が多かったんですが、それと全く違う。もちろん子どもには盲目で居合斬りの達人というのが一番衝撃でしたが、権力側から外れた人が主人公になったという印象が強くありました。

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