2018/08/30 11:00

テニス史に残る“3時間55分”の死闘、その知られざる裏側とは

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri 2017

文=赤尾美香/Avanti Press

「子供の頃、スウェーデンの男の人は、みんなビヨン(ビョルン)という名前だと思っていたよ」と、友人が笑った。ポップ・グループ、ABBAのメンバー、ビョルン・ウルヴァース。映画『ベニスに死す』(1971年)でタジオを演じた超絶美少年、ビョルン・アンドレセン。そしてテニス・プレイヤーのビヨン・ボルグ。子供にとっては同じ名前が3人もいれば、“みんな”に十分だった。

日本でも、単なるテニスの試合を超えた社会現象に

コートに膝をつき、天を仰ぐボルグ。あのポーズ、あのシーンは、今も脳裏に焼き付いて離れない。ある年齢より上の人の中には、そういう人が数多くいるはずで、かくいう私もそのひとり。もちろん、後にポーズを真似した芸人やタレントもいたから、それで記憶に定着したのかもしれないが、いずれにせよ1980年のウィンブルドン男子シングルス決勝、ボルグとマッケンローの頂上対決は、日本でも単なるテニスの試合という以上の話題性を伴っていた、と記憶している。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

テニス・マンガの金字塔『エースをねらえ!』にも登場

1973年に「週刊マーガレット」で連載がスタートしたテニス漫画の金字塔『エースをねらえ!』は、日本における空前のテニス・ブームに、間違いなく一役(もしかしたらそれ以上)買ったはずだ。連載は1973〜1975年と、1978年〜1980年の2度にわたり、この時期はそのまま世界的なテニス黄金期と被っている。

人気の先陣を切ったジミー・コナーズがウィンブルドンで初優勝したのが1974年。ビヨン・ボルグが18歳で全仏オープン優勝したのが1974年。ジョン・マッケンローが20歳で全米オープンを制したのは1979年だが、それ以前から何かと注目を集めていた。ちなみにテニスの全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンは、世界4大大会=グランド・スラムと呼ばれ、ここで勝つことこそが選手の目標とされている。

主人公の高校生、岡ひろみが一流選手として成長していく様を描いた『エースをねらえ!』には、ボルグをはじめとする実在の選手も登場したが、中でもビリー・ジーン・キング夫人やクリス・エバートは重要な役を担っていた。そう、男子だけではなく、女子テニス界もスター揃いだったのだ。

エバートの好敵手、マルチナ・ナブラチロワや、32歳で年間100勝を達成したマーガレット・コート夫人などなど。そんな華やかなテニス界の裏で、女子選手たちが正当な権利を訴えて闘っていたことを教えてくれたのが、先に公開された映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(エマ・ストーンがビリー・ジーン・キング夫人を熱演)であった。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

スポーツ史に残る3時間55分の死闘を映画で再現

さて。2017年のトロント映画祭でオープニングを飾るや話題となり、各国際映画祭で観客賞を受賞している本作『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』は、そんなテニス黄金期に世界中のファンを魅了したビヨン・ボルグとジョン・マッケンローの知られざる姿にフォーカスした作品だ。

1980年、ウィンブルドン男子シングルス決勝。5連覇がかかった24歳のボルグと、初優勝を狙う21歳のマッケンロー。ふたりが繰り広げた3時間55分に及ぶスポーツ史に残る死闘をクライマックスに、そこに至るまでのボルグのストーリーと想いを軸に据え、マッケンローのバックグラウンドにも迫る。

スウェーデンはストックホルム近郊の貧しい家庭で生まれ育ったボルグは、すぐにカンシャクを起こす問題児だった。テニスをするにはふさわしくないというレッテルを貼られた彼を救ったのは、スウェーデン代表の監督レナートで、彼の教えによってボルグは、後に「アイスマン」という愛称を奉られるほどの“冷静さ”を身につけた。しかし、何事に対しても繊細で完璧主義な彼の心が休まる時間はない。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

一方のマッケンローはドイツ生まれのニューヨーク(クイーンズ)育ち。コートでの傍若無人な振る舞いで、“悪童”と呼ばれていたが、ボルグの目には彼が、若い頃の自分に重なって見えていた。そして、幼い頃からずっと、心の中には、弁護士である父に認められたいという気持ちも隠していたマッケンローにとって、3歳年上のボルグは憧れの存在でもあった。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

寡黙でストイックなボルグと、ロックスターのようなマッケンロー

ボルグを演じたスウェーデン出身のスベリル・グドナソンは、撮影の5ヶ月前からトレーニングを始め身体を作ったという。実物よりさらにイケメンな彼だが、自分を極限まで追い詰めた挙句、恩人であるレナートとの関係を壊してしまうボルグの執念にも近いテニスへの思いや、コートを離れた時の無骨さ、不器用さを緊張感溢れる演技で表現している。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

当初はボルグを演じることに不安があったというグドナソンとは反対に、マッケンローを演じたシャイア・ラブーフは、自分とマッケンローに共通点を見出し「彼のすべてに親しみを感じ、理解できる」と語っている。「マッケンローは理想を追求する男だ」と。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

モナコの豪華な邸宅で静かにフィアンセと暮らすボルグ。ホームタウンであるニューヨークのヒーロー=ラモーンズ(パンク・バンド)のTシャツを着て、ラジカセでガンガンロックを聴き、スポンサーからは「テニス選手もロック・スターのようでなければ」と言われるマッケンロー(彼がスクリーンに登場するとBGMは大抵ロックに変わる)。こういったシーンの対比もまた、ふたりのキャラの違いをわかりやすく伝えてくれる。

「氷VS炎」という王道的構図の先にあるものとは

しかし、だ。氷の男と炎の男。一見、スポ根マンガの王道パターンのように対照的キャラクターに思えるふたりだが、その実、とても似ているのではないか、とも次第に思えてくるのだ。見ていて痛々しいまでに、全身全霊をテニスにかけ、真剣勝負に挑む姿は恐ろしくもあり高潔でもあり、思わず息をのむ。

たしかに1980年のウィンブルドン男子シングルス決勝戦が世界中の目を釘付けにしたのは、絶対的王者とチャレンジャーの闘いであったことや、ふたりが対照的なプレイヤーだったことで、単なるテニスの試合という以上のドラマがそこに生まれたからだと思う。

けれど本作を観ていると、試合の当事者であったボルグとマッケンローのふたりには、打ち合うことで互いを尊重し理解し合っているような空気が感じられた。あるいは1980年当時にも、そんな空気に気づき、ゆえにふたりの壮絶な闘いから目が離せなかった人がたくさんいたのかもしれない。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(c)AB Svensk Filmindustri

“悪童”に捧げられた有名曲「ドント・ゲット・ミー・ロング」

翌81年、ボルグとマッケンローは再び同じセンターコートで決勝を闘った。マッケンローはボルグを破ってウィンブルドンで初優勝し、その2年後、ボルグは26歳の若さで引退を決意した。当時のトーナメントの過密スケジュールに反対の意を表しての引退だった。

マッケンローは、92年に33歳で引退するまでプレイを続けたが、その“悪童”ぶりは変わらなかった。ロック・バンド、プリテンダーズが86年に発表した「ドント・ゲット・ミー・ロング」という曲は、後年、日本のワイドショーのオープニング曲や車のCMに採用されて人気となったが、これはバンドのフロントウーマンであるクリッシー・ハインドが、友人であるマッケンローをモデルに書いた曲。2014年にはクリッシーのソロアルバム「ストックホルム」にマッケンローが参加、ギターの腕前を披露している。

現役時代、試合以外の接点を持たなかったボルグとマッケンローは、引退後、懇意になったそうだ。

『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』
8月31日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
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