2018/08/27 11:00

将棋映画に染谷将太あり!「三部作」いよいよ完結

(C)2018「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会 (C)2018瀬川晶司/講談社

藤井聡太七段(2018年8月現在)の歴史的大躍進によって、空前の将棋ブームが巻き起こっている。藤井七段の活躍に追随したわけではないが、奇しくも日本映画界は近年、秀作将棋映画の製作、公開が続いている。 

2016年、松山ケンイチの大増量と、東出昌大による“羽生善治完コピ”が話題を呼んだ『聖の青春』。2017年、羽海野チカの同名漫画を二部構成で映画化した大作『3月のライオン』。そして、9月7日からは『泣き虫しょったんの奇跡』が公開される。

平成末期に誕生したこの3作すべてに出演している俳優がいる。染谷将太だ。主演、助演問わず、数多くの作品に携わりつづける「日本映画界の若き至宝」である。なぜ、染谷は将棋映画に呼ばれているのか。この3作をあえて「三部作」と捉え、考えてみたい。

敗者のギリギリのプライド『聖の青春』

 『聖の青春』は、難病を抱えながら、羽生善治のライバルとして立ちはだかり、29歳で逝去した棋士、村山聖(むらやま・さとし)の姿を描いたものだ。

病と闘いながら、大好きな将棋に賭ける青春。といえば、悲壮感漂う世界が思い浮かぶかもしれないが、主人公の聖には歯に衣着せぬ豪放な性質があり、思い切り生きているがゆえに他人を罵倒することも少なからずある(それでいて、羽生に対しては乙女のように無垢な気持ちで、まるで恋をするように対峙しているから、その落差はすこぶる魅力的だ)。

染谷将太は、そんな聖にとっては弟弟子にあたる江川貢(えがわ・みつぐ)を演じている。聖の2歳年少だ。

プロ棋士の養成機関である「奨励会」には、26歳までに四段になれなかった場合は退会するという鉄の掟がある。つまり、それはプロ棋士になる夢を絶たれるということだ。貢はギリギリまでその可能性を探ったが、結局果たすことはできなかった。

聖は仲間たちと酒を呑むのが大好きだった。そして呑んだ帰り、失意の貢にとんでもない発言をする。傷口に塩を塗りたくるようなその言葉に、貢はキレる。ここでの染谷の演技が胸を打つ。人間としてのギリギリのプライドを必死で守りながら、兄弟子への敬意は破壊することはなく、その上で、爆発している者の心模様が手にとるように伝わってくる。

そこには、将棋という過酷極まりない闘争の現場の真実が映っている。勝者がいるということは、敗者がいるということなのだ。プロ棋士になった者がいるということは、なれなかった者がいるということなのだ。

敗者には敗者の誇りがある。そのささやかな誇りを染谷は、長くはないシークエンスの中の、貢の怒りの言動に託した。江川貢の存在は、本作の中で決して大きなものではない。しかし、染谷は観る者の心象に残る芝居で、将棋の世界の現実を指し示したのである。

達観が支える純粋な闘争心『3月のライオン』

 『3月のライオン』は、17歳のプロ棋士、桐山零と、彼を取り巻く人間模様を見つめた作品だ。染谷が扮するのは、零のライバルで親友でもある二海堂晴信。二海堂は、難病を抱える巨漢。染谷は、特殊メイクを施して二海堂を演じており、一見するだけでは染谷であることはわからない。

 だが、ルックスではなく、その演技を見つめていると、染谷ならではの繊細で精緻なアプローチが伝わってくる。

二海堂は裕福ではあるが、自分が長く生きられないこと、将棋をずっと続けられるわけではないことを、誰よりもはっきり理解している。その現実からは決して逃げない。だから、なんとしてでも将棋で勝ちたいのである。そんな闘争心丸出しの風情は、もはや彼自身の「生きる芸風」と化していて、嫌味なところはまったくなく、むしろ、わかりやすい清々しささえある。

零に勝ちたいという二海堂の想いは、とても純粋なものだ。そして、その純粋さは、二海堂ならではの人生に対する達観の支えによって成立していることが、染谷の軽やかな芝居からは感じ取れる。

主人公、零を演じたのは神木隆之介。神木も染谷も、子役時代からコツコツとキャリアを積み上げてきた「若きベテラン」だ。ふたりの風情は、中学生がプロ棋士になることもある将棋の「最前線」にとてもふさわしい。

(C)2018「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会 (C)2018瀬川晶司/講談社

いつか出逢った観察者『泣き虫しょったんの奇跡』

 『泣き虫しょったんの奇跡』は、『聖の青春』同様、実話を基に、実在の人物たちの姿を再構成したものである。26歳で四段になれなかった男。奨励会を退会し、一度は将棋を捨てながらも、アマチュアの世界で名人となり、なんと35歳で、異例の「プロ編入試験」を許され、見事それを突破した瀬川晶司の「奇跡」への道が綴られる。

染谷の役どころは、村田康平という、瀬川の奨励会時代の後輩である。チラシなどでは「ちょっと生意気な後輩」と紹介されている。

瀬川晶司のもとには先輩、後輩問わず、多くの人が集まった。瀬川が不在のときも、彼の住まいに勝手に上がり込み、飲食を共にし、将棋を研究する。そんな「仲間」の輪が生まれていた。瀬川が帰宅すると、みんなに出迎えられるという心温まるシーンもある。そんな中、染谷は、村田という瀬川に「食ってかかる」後輩を、絶妙なスタンスで表現している。

自分に自信があり、他人の矛盾には容赦なくチェックを入れることができる青年。むしろ、それが礼儀だと思っているかもしれない村田のたたずまいは、活き活きと伸びやかで、とても現実感がある。

泣き虫しょったんの奇跡 染谷将太

(C)2018「泣き虫しょったんの奇跡」製作委員会 (C)2018瀬川晶司/講談社

染谷がここで作り出している村田康平の肖像は、決して特異な人物ではなく、私たちが生きている日常でも「いつか、どこか」で出逢ってきた誰かを思い起こさせるものがある。「こういう人、確かにいた」と、素直に思わせられるキャラクターだ。

若き日に現実に出逢っていたら、イヤなヤツだと思うかもしれない。だが、映画を通して眺めると、悪くない、いや、こういうヤツがいてくれて、自分の人生は成り立ってきたのではないか、そんな感慨さえ得られる。

村田の存在は、映画の客観性でもある。染谷はみだりにキャラクタライズするのではなく、ある意味、主人公を「批評する」ような立ち位置から、村田を形成している。そのことによって、将棋の世界もまた、私たちの世界と地続きであるかのような「普遍」を付与しているのである。

染谷将太は、知性を感じさせるビジュアルを有しているから、将棋の世界の住人にはふさわしい。だが、映画の作り手たちが彼を将棋映画に召喚するのは、そうしたフィット感だけを求めてのことではないだろう。

『聖の青春』では、敗者。『3月のライオン』では、好敵手。『泣き虫しょったんの奇跡』では、傍観者。それぞれ、将棋の世界との距離をいかに紡ぐか。そこに細心の留意を払う染谷将太の「献身」は、将棋と私たち観客とをつなぐ重要なファクターとなり得ている。染谷将太が日本映画界に必要とされる端的な例が、ここにある。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)

※2018.08.28 10:30 本文中の一部表記に誤りがあったため記事を修正しました

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