2018/09/07 07:00

“最強のカメラマン”たむらまさきという男

撮影監督たむらまさき(写真提供:PFF 映画祭事務局)

文=平辻哲也/Avanti Press

「第40回ぴあフィルムフェスティバル」(9月8日~22日、月曜休館、会場=国立映画アーカイブ)では、今年5月に79歳で亡くなった撮影監督たむらまさき(田村正毅)を偲んで、緊急企画「追悼 たむらまさきを語り尽くす」が開催される。

70年代、小川プロダクションのドキュメンタリーで活躍し、劇映画では黒木和雄監督、柳町光男監督、青山真治監督と多く組んだ。相米慎二監督の『ションベン・ライダー』(1983年)の冒頭7分半に及ぶ長回しは今も、語り草だ。90年代は諏訪敦彦、河瀨直美、鈴木卓爾ら新人監督のデビュー作品に参加し、インディペンデント映画を支えた。

インディペンデント映画を支えた「80年代以降、最強のカメラマン」

8月上旬、都内で「たむらまさきさんの長期ロケ出発を見送る会」と題するお別れの会が開催された。予想を上回る120人以上の参加に、司会進行を担当した青山監督はフェイスブックで「ただただたむらさん、愛されてたなあ、とつくづく思い返すばかりです」と綴った。

青山は『Helpless』(1996年)から『サッド・ヴァケイション』(2007年)まで13作品でタッグを組んだ。“こういう画を撮りたい”とイメージを伝え、その具現化はたむらさんの仕事だった。たむらさんは青山の想像を超える画を撮り続け、2人の間には絶対的な信頼関係が生まれた。

青山真治監督『Helpless』(1996)、主演は浅野忠信

「よく遊び、よく飲み、よく語り、よく怒り、よく歌った。“映画作りはそんなのでいいのか”というくらい映画人生を謳歌させていただきました。ハチャメチャな人だったと思います。存命であれば、相米(慎二)さんのこと、(小川プロダクションの)小川(紳介)さんのことを聞きたかった。異人でもあり偉人。80年代以降、最強のカメラマン」と語る。

青山真治監督『EUREKA ユリイカ』(2000年)、出演は役所広司、宮崎あおい、斉藤陽一郎ほか
(C)2001 J‐WORKS FILM INITIATIVE (電通+IMAGICA+WOWOW+東京テアトル)

海外映画祭の常連、75歳では監督デビューも

たむらさんは1939年、青森県生まれ。1968年に『日本解放戦線・三里塚の夏』(小川紳介監督)でデビュー。1982年には柳町の『さらば愛しき大地』で、1997年にはカンヌ国際映画祭カメラドール(新人賞)を受賞した河瀬直美の『萌の朱雀』と諏訪敦彦の『2/デュオ』の2作品で2度、毎日映画コンクール撮影賞を受賞。青山と組んだ大作『EUREKA ユリイカ』(2000年)はカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞、エキュメニック賞の2冠をもたらした。2008年には文化庁芸術選奨映画部門文部科学大臣賞も受賞している。75歳だった2014年には染谷将太主演の『ドライブイン蒲生』で監督デビューを果たした。

柳町光男監督『さらば愛しき大地』、出演は根津甚八、秋吉久美子ほか

いいものを作るために衝突、降板伝説も

たむらさんは、「いい画」を撮ることに貪欲だった。ただ、決めの構図にはこだわらない。それでいて、物語を語る上で、説得力のある画を撮り、映画にスケールと躍動感を与えた。現場でアクシデントに直面しても、「どっちゅことない!」といい、現場を和ませた。

インディペンデント育ちで、基本は早撮り。カメラのオペレート能力も高いが、いわゆる技術屋ではなく、芸術肌だった。読書家で、勉強熱心。若い才能のことを気にかけていた。いい物を作るために、ぶつかることも多々あったが、自身が納得しないとけっして引かない。

『おもちゃ』(1999年)では深作欣二監督のたっての希望で、撮影監督に。しかし、京都撮影所のスタッフと合わず、やむなく降板した。女優や俳優と違って、カメラマンの降板劇はニュースにならないが、実は数知れない。巨匠だろうが、新人であろうが、関係なかった。PFF出身で、『冬の河童』(1995年)の風間志織もたむらさんの降板に直面した一人だ。

撮影現場でのたむらまさきさん(写真提供:PFF 映画祭事務局)

“ハプニング”と“アクシデント”は違う

「当時私は20代のバカモノのワカモノで、50代(たぶん)ベテラン田村正毅と組むことになった時、彼を決して敬ってはいけないと、まっさらのガチでやらないといけないと決め、現場に臨みました。結果、『バカモノとは組めない』と田村氏は去ってしまったのですが、彼の撮ったワンカットはとても好きです。(たむらさんは)非常に繊細で貪欲な、映画という業を持ち続けた人でした。あのまっすぐな貪欲さというのは見習わないといけないと思っています」(風間監督)と振り返る。

同じPFF出身の鈴木卓爾は、たむらさんと息があったのかもしれない。『私は猫ストーカー』(2009年)、『ゲゲゲの女房』(2010年)の2作でタッグを組んだ。「とても大きな映画の可能性を秘めた大先輩です。『撮影中の“ハプニング”と“アクシデント”は違うんです』と言われた言葉を、よく考え続けています」と、その言葉を噛み締めながら、映画に向き合っている。

数々の監督、俳優たちに影響を与えた生き様

たむらさんとは20年以上の付き合いで、最初で最後の監督作『ドライブイン蒲生』のプロデューサーを務めた越川道夫は言う。「物凄く純粋に映画のことを考えていた人です。ごまかしとか、妥協が全く許せない。監督も撮影監督も同じクリエーターと思っているので、時に意見が激しくぶつかり合うことがある。一時は気難しい人という評判もありましたが、それはすべて、真摯に映画に向き合った結果なんです」

たむらまさき監督『ドライブイン蒲生』(2014年)
(C)2014 伊藤たかみ/河出書房新社

永瀬正敏は、自身のデビュー作『ションベン・ライダー』、『ドライブイン蒲生』でたむらさんと仕事をした。「『ションベン・ライダー』の時は、たむらさんは3度クレーンを乗り換えて、オペレートしていましたね。相米のオヤジは一切、OKを言わない人だったので、たむらさんの顔を見て、OKかどうかを判断していました。『ドライブイン蒲生』の時は、とても楽しそうにしていたのが印象的。すごい人達が天国に行ってしまうので、天国の映画の方が面白いんじゃないかと思ってしまう。負けないようにしない、と」とさらなる活躍を誓う。監督も俳優も、たむらさんの生き様には刺激を受けた。

追悼企画では、9月8日(土) 12時15分からの『Helpless』上映後、15時からの『EUREKA ユリイカ』の上映後、青山と仙頭武則プロデューサーが登壇。9月9日(日) 16時からの『さらば愛しき大地』の上映後には、柳町、映像制作集団「空族」の富田克也、相澤虎之助がトーク。9月16日(日) 13時45分からの『2/デュオ』の上映後には、諏訪が新人監督・山中瑶子からの質問に答える。どんな、たむらまさき伝説が語られるか?(監督、敬称略)

9月16日(日) に上映される諏訪敦彦監督『2/デュオ』(1997年)、出演は柳愛里、西島秀俊、中村久美、渡辺真起子ほか(写真提供:PFF 映画祭事務局)

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