2018/12/24 07:00

ヴィヴィアン・ウエストウッドが愛した3人の男たち

『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』12月28日(金)より角川シネマ有楽町、新宿バルト9ほか全国ロードショー/配給:KADOKAWA(C)Dogwoof

英国女王から贈られるデイムの称号をもつイギリス人ファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド。彼女は、世界数十国で100店舗以上を展開するブランドのトップなのにも関わらず、大企業の傘下に入ることなく独立を続け、これ以上店舗を拡大しないと発表したり、環境や人権保護活動家として積極的に働いたりなど、資本主義に食い荒らされた高級ブランドとは一線を画すデザイナーです。

1970年代、当時の恋人マルコム・マクラーレンと一緒にセックス・ピストルズをプロデュースし、パンク・ムーブメントを牽引したことでも有名ですが、実は、彼女の才能を発掘し支えた男性はマルコム以外にもいました。12月28日に公開される『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』は、ローナ・タッカー監督が女性ならではの目線でヴィヴィアンの人間らしさを浮き彫りにしたドキュメンタリー。

本作にも登場するヴィヴィアン・ウエストウッドが愛した3人の男性を紹介しながら、彼女が残した業績を辿ってみましょう。

ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス

『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』(C)Dogwoof

バンドを共にプロデュースした最初の夫、デレク・ウエストウッド

現在77歳のヴィヴィアン・ウエストウッドはイングランド中部地方の労働者階級の家庭に生まれた、非常に賢く画才のある女の子でした。16歳のときにロンドンの美術学校へ進学し、当時若者の間で大人気だったダンスやロックンロールに明け暮れます。

1959年、18歳の彼女は手に職をつけるため、2年制の教員養成学校に通っていました。その頃ダンスフロア出会ったハンサムでオシャレな青年、デレク・ウエストウッドと出会い、1962年、21歳のときに結婚。彼は大手掃除機メーカーで働きながら、夢であるパイロット学校の学費を稼ぐために、ダンスやライブのイベントを開催しており、デレクとヴィヴィアンはバンドもプロデュースしていたのだとか。そのなかには、ザ・フーもいたそう!

映画内でヴィヴィアンが語ったように、若い二人の結婚生活はまさに1950年代の理想的なカップルそのものでした。間もなく彼らは可愛い男の子を授かりますが、出産数ヵ月後にヴィヴィアンは離婚を決意します。

当時のロンドンではスウィンギング・ロンドンという若者によるポップカルチャー旋風が吹き荒れていました。この時期台頭したのが、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、そして、ミニスカートを一世風靡させたマリー・クワァント。労働者階級の美術学校出身の若者を中心として起こった文化的な革命に、彼女も一緒に身を投じたかったのだそう。当時のシングルマザーには社会の風当たりも相当強かったはずなのに、自分の心どおりに生きることを望んだのです。

ヴィヴィアン・ウエストウッド ドキュメンタリー

『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』(C)Dogwoof

パンク・ムーブメントを牽引したマルコム・マクラーレン

「マルコムは、わたしにとって、はじめての『知的な』男性だっと思う」と言うヴィヴィアン。1965年、美術学校を渡り歩く21歳のマルコム・マクラーレンと彼女は出会います。ロンドンを知り尽くし、政治、文化、アートに造詣が深く、才能豊かでユーモアに長けたマルコムは、「世界が可能性に満ちている場所」だと皆に思わせるほどの強烈なカリスマの持ち主。ヴィヴィアンとマルコムはいつしか同棲を始め、子供を出産します。

1971年、30歳の頃、ヴィヴィアンとマルコムはキングス・ロード430番地に初めての店『レット・イット・ロック』を開き、ロックンロールのヴィンテージレコードを売り始めますが、やがて、Tシャツやスカートに穴を開けたり、政治的なスローガンを入れたり、ジーンズを引き裂いて破ったり、スタッズをつけたりなど、斬新なファッションを発信し始めました。

その後ヴィヴィアンとマルコムの店は名前を様々に変えながらも、1975年までにはキングスロードのランドマークに成長。ニューヨーク・ドールズのステージを観て以来、バンドをプロデュースするアイディアに取り付かれていたマルコムは、ある日、店にふらりと入ってきたジョニー・ロットンをボーカルにセックス・ピストルズを結成します。ピストルズのメンバーが作った曲をヴィヴィアンとマルコムが時にはアレンジし、ヴィヴィアンが衣装を担当していたのだとか。

ヴィヴィアン・ウエストウッド 恋愛結婚

『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』(C)Dogwoof

劇中、ヴィヴィアンが回想するパンクは、現代思われがちなファッションや音楽のジャンルではありません。1960年代のスウィンギング・ロンドンで若者が変えられると信じていた階級社会が一向に変わらず、1970年代に入って貧富の差がさらに広がったことに対して労働者階級の怒りが頂点に達し、とうとう爆発したことから起きたムーブメントだったのです。

パンク・ムーブメントの終焉後、マルコムと別れたヴィヴィアンは、ファッションデザイナーとして生きていくことを決意。イギリスやスコットランドの伝統的ファッションであるツイードやタータンチェックに、性別をとわず全ての男女が着られるような現代的なデザインを取り入れてアヴァンギャルドなスタイルを打ち出してきました。伝統的な生地や職人技術を活用することは古来の産業や職を守り続けるという意味で、ファッション業界における彼女の貢献はデザイン以上のものがあるのです。

ブランドを共に率いる現在の夫、アンドレアス・クロンターラー

そんな彼女が48歳のときに知り合ったのが23歳のアンドレアス・クロンターラー。なんと、オーストリアの大学で教鞭を取っていた時の教え子でした。作中、ヴィヴィアンは2人が出会ったときのエピソードを披露しますが、彼は並外れた才能の持ち主で、自分の意見を恐れず主張できる強い所がある反面、とても温厚な人柄なのだとか。

ヴィヴィアン・ウエストウッド 夫 アンドレアス・クロンターラー、

現在の夫、アンドレアス・クロンターラー(写真左)(C)Dogwoof

1993年、ヴィヴィアンが52歳のときに二人は結婚します。この頃、ヴィヴィアンには世界中から注文が殺到していましたが、側近といえる従業員は8人しかおらず、経営も苦しい状態でした。そこにアンドレアスがデザイナーとして精力的に協力し、コレクションを共に作り上げたことで、ブランドの経済基盤が安定したのです。

現在、ヴィヴィアンが朝オフィスに行き、まず取り掛かるのは環境、人権や動物保護の活動家の仕事だそう。映画で描かれている通り、彼女のファッションに対する情熱は衰えておらず、コレクションの細部まで自分で確認することに変わりはありませんが、アンドレアスとの共同作業のお陰で、彼女が活動家として生きる余裕ができたのは事実。

ローナ・タッカー監督 ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス

監督のローナ・タッカー(Photo:Andrea Vecchiato)

本作を監督したローナ・タッカーは、ヴィヴィアンの人生で男性が果たした役割について筆者とのインタビューでこう説明しました。

「ヴィヴィアンの人生に登場した男性たちは彼女を、“強く自立した”女性に変えました。マルコムに出会う前のヴィヴィアンは自分の知識や教養に自信がなかったけれど、彼はヴィヴィアンに自分の潜在能力に気づかせて、自分自身を表現する術を教えたのです。

そして、アンドレアスはマルコムとの確執で傷ついていたヴィヴィアンに、安心や信頼を与え、そのおかげで彼女はより強くなりました。彼はビジネス面でも、ヴィヴィアンにはない視点でブランドの運営に携わり、ブランドの未来を一緒に切り開く素晴らしいパートナーなのです」

人生に舞い降りた3人の男たちからあらゆるエネルギーを吸収し、それを糧に強く進化し続けるヴィヴィアン・ウエストウッド。だからこそ、彼女は、現状に満足せず社会を揺らせ続ける「パンクの女王」でいられるのかもしれません。

(取材・文/此花さくや)

【参考】DU BOOKS『ヴィヴィアン・ウエストウッド自伝』ヴィヴィアン・ウエストウッド、イアン・ケリー著

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