2018/12/20 07:00

ネクストレベルの「変顔」中島健人の超絶アプローチ

(C)2018映画『ニセコイ』製作委員会 (C)古味直志/集英社

極道一家の一人息子と、ギャング組織の一人娘が、血を血で洗う抗争劇を阻止するため、無理矢理「偽物の恋人=ニセコイ」を演じさせられることになる……まさに漫画、これぞ漫画と言うべき徹底したシチュエーションで繰り広げられる古味直志の『ニセコイ』の映画化が、12月21日より公開する。

主人公、一条楽(いちじょう・らく)を演じた中島健人の「顔面演技」がとにかく凄まじい。そもそも漫画を実写化するとはどういうことなのか、という根源的な問いに、わたしたちは誘われる。ここでは、中島健人の芝居にスポットを当ててレビューしてみたい。

顔面を漫画仕様に再構築する

ヒロイン、桐崎千棘(きりさき・ちとげ)はハーフの設定。実際にハーフである中条あやみが扮し、髪を金髪に染め、ブルーのカラーコンタクトを入れている。この完璧なビジュアルは原作者も太鼓判を押しているが、中島健人のアプローチはそれとはちょっと違う。

中島は所属するSexy Zoneの全国ツアー中も、原作漫画全25巻を持ち歩き、漫画のコマ一つひとつを絵コンテのように解釈し、脚本にマッチングさせていたという。つまり、彼なりの「漫画の再現」を目論んでいたのだ。

主人公の楽は、本当は犬猿の仲である千棘に「もやし」と呼ばれる細マッチョだが、中島はルックスを寄せるというよりは、己の顔面を「漫画仕様」に再構築することに邁進している。

簡単に言えば、リアクション芝居。それは俗に言う「変顔」に属するものかもしれない。だが、中島のあまりにきめ細やかな表現の積み重ねは、一発ギャグと同義に扱われがちな「変顔」という一語の薄っぺらさを、瞬時にひっくり返す。これだけヴァリエーション豊かに繰り出されれば、「変顔」は「変顔」ではない別な表現へと昇華されるのだ。

ニセコイ 中島健人

(C)2018映画『ニセコイ』製作委員会 (C)古味直志/集英社

二人は、本当に恋人同士なのか。ギャング組織の幹部、クロードはそれを疑い、楽と千棘を監視する。ありとあらゆる方法で二人に近づく。さまざまな職業の人間になりすまし(バレバレなのだが)、あるときは財力にものを言わせ旅館を買収したりもする。

クロードに扮しているのはDAIGOで、文字通りの快演なのだが、このDAIGOの「顔面芝居」と中島健人の「顔面演技」とのセッションが、ある意味、本作最大の見どころかもしれない。

たとえば工事現場の作業員のふりをしたクロードがクレーン上からヘルメット姿で、教室の二人を監視している場面。クロードは一貫して睨みつけるだけである。いい意味で、その表情の強度は変わらない。ただ、その都度、扮装が変わるだけだ。扮装が変わっても目つきは同じ、ということが笑いを呼ぶのだ。

DAIGOはこの設定にふさわしいマシーンのような顔つきをキープしている。まず、それが素晴らしい。DAIGOが投げる「球」は、言ってみればストレートの剛速球だ。スピードも球種も常に一定である。では、中島健人はそれにどのように応えているのか。

(C)2018映画『ニセコイ』製作委員会 (C)古味直志/集英社

超高度な福笑いとしての表現

クロードの非情極まりない、一切のブレのない監視の目に一条楽が気づいた瞬間。「うわ!」とか「ぎゃ!」とか、「ひええ!」とか、文字も声も出ないのだが、それぞれ異なる擬音を想起させる「具体的な表情」を、中島は見せる。印象としてはほぼ静止したままで、こうした擬音を「肉体化」している。そして、驚くべきことに、同じことは繰り返していない。どこかが違っていて、その差異にガクガクさせられるのだ。

「変顔」というのは、ひどく単純化されたものに思われがちだが、中島健人の『ニセコイ』での表現を見つめているとそうではないことに気づかされる。

たとえば、首の曲げ方、目の見開き方、唇の噛み締め方などなどを変幻させ、それらを組み合わせることで無限の広がりをもたせているのだ。それでいて「変顔」としてのフラットさは保持しており、これは言ってみれば「超高度な福笑い」とでも形容するべきものかもしれない。あえて奥行きをもたせず、平面の中で多種多様な可能性を提示すること。これがいかに困難なことか。

(C)2018映画『ニセコイ』製作委員会 (C)古味直志/集英社

さらに中島の凄さは、DAIGOがその都度投げ込む豪速球を、いかにしてバッターとして打つかにも表れている。誤解をおそれずに断言するならば、中島健人のリアクションは「凡打」に留めている。つまり、爆笑はさせない。野球で言えば、ホームランは絶対打たないし、それ以前にジャストミートも慎重に避けている。基本、ゴロか、野手がキャッチしやすいフライだ。ときおり小ヒットを混ぜる。

DAIGOが投げているのは設定上、常に剛速球だ。だから、その強度にふさわしいバッティングを続けていると、表現としては単調になる。クロードが睨んで、一条楽がビビるという展開は数限りなくあるので、それではセッションが平板化する。そして、毎回、爆笑が生まれてしまうと、作品のテンポにブレーキがかかる。中島の表現はそこを避けているのだ。これは、演出や編集の賜物でもあるが、それにしたって、中島健人がこれだけの「素材」を用意できなければ、無理な話だ。

空振りはしない。サムくなるからだ。中島健人はDAIGOの剛速球に調子をあわせず、少しだけズラしながら、バットをちょこんと当てる。そうして、ヒットにはなりきらない、多種多様な「変顔」で、作品全体の緩急を形作っている。クスクス、クスクス、ワハハ、クスクス、クスクス、ワハハ。たとえば、そんな配分で。

(C)2018映画『ニセコイ』製作委員会 (C)古味直志/集英社

本作はコメディであると同時に、ラブストーリーである。ギャグで豊かな緩急を映画に施しながら、肝心要のところで、中島健人はビシッと「恋の顔」をキメる。

そのとき、わたしたちは知る。彼が爆笑を抑止していたのは、作品の最も中心に位置していなければいけない、この「恋の顔」を際立たせるためだったことを。

役者は「顔」が命である。それはイケメンか否かということではない。己の顔面をいかにコントロールし、作品に捧げることができるか、ということである。中島健人の献身は、あとでじわじわ効いてくる破格の性質のものである。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)



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