2018/12/22 06:30

大泉洋が寅さんかよ!? 松竹があっと言わせる正月映画とは?

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー  (C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

文=関口裕子/Avanti Press

「体は不自由、心は自由」。動かせるのは首と手だけ。筋ジストロフィを患いながらも、目いっぱい人生を楽しもうとする男、鹿野靖明を描く実話の映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』が12月28日に公開される。

ほれっぽくて、わがままで、図々しくて、よく喋る。そんな病人の概念を覆すエンタテインメント映画の主人公を演じるのは、大泉洋。なんだか、大泉自身のキャラクターとも被るような……。そんな大泉の本作へのアプローチを、前田哲監督にうかがった。

だが、うかがっているうちに、前田監督も鹿野に似ているように思えてきた。鹿野が、鹿野によって、鹿野を描いた映画? そんな奇妙な感覚にとらわれながら、インタビューは進行した!

なんなんだこの鹿野靖明って男は!

――本作を撮るに至った経緯から教えてください。

2009年から根岸吉太郎さんが学長を務める東北芸術工科大学の映像学科で准教授をしていたため、結構長く映画を撮れていなかったんです。教育は、人と関わる仕事。それはそれでとってもエネルギーが必要なのですよね。そんな時、10年来の知り合いの松竹の石塚慶生プロデューサーから、「そろそろ撮らないとやばいんじゃないですか?」と声を掛けてもらって、とりあえず30本、企画を出しました。

前田哲監督

――その大学を2013年に退任されたんですね?

そうです。まだ在学のゼミ生たちが心配でしたが、退任しました。その30本の中から可能性がありそうだと、三島由紀夫の「午後の曳航」と、伊坂幸太郎の「魔王」の2本に絞って、真剣に話し合いました。でも企画開発までいかなかった。それが2013年。その時に石塚プロデューサーが「自分を信じて勝負できる作品をやらなきゃダメですよ! あなたはメジャー作品を作れるんだから。観客が喜ぶものを作って欲しい!」と。本人は覚えてない、と言っていましたけど、その叱咤激励ともいえる言葉のおかけで、原作を手に取ることができたんです。

原作の「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(文春文庫刊)は、2003年に出版された時から気にはなっていて、本を買っているんです。でも読まずにいた。難病や感動を売りにしている話かもしれないと、二の足を踏んでいた。でも思い切って読んだら、自分の思い込みとは全く違う。なんなんだこの鹿野靖明って男は! 障害者の概念をぶち破り、生きることの本質を突く話だった。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

ただ、石塚プロデューサーから、「原作はベストセラーでないし、ノンフィクションだから、劇映画にするには、企画開発に時間がかかります。以前に製作した、井上靖の実話に基づく、アルツハイマーの母と小説家の話『わが母の記』(2012年)は、公開まで3年かかりました。その覚悟ありますか?」と。実際は3年半かかりました。そこからはもう、格闘です。企画を通すためにスターを捕まえなきゃいけない。スターを捕まえれば、お金が集まるけど、スターを捕まえるためには当然いい脚本を作らなきゃならない。

脚本は13稿に。それでも心は折れなかった

――脚本は橋本裕志(『テルマエ・ロマエII』2014年、『映画 ビリギャル』2015年ほか)ですね。

昔からいつかはと思っていた意中の人に依頼することになりました。橋やんこと、橋本裕志さんです。向こうは思っていなかったんだけど、僕は20代からの親友だと思っていたから(笑)。僕は助監督として、彼は書生として荒戸源次郎事務所に寝泊まりしていて、齢も近いし、なんかシンパシーを感じていた。でもこの脚本を頼んだ時に、「なぜ俺なんだ?」って言われて! ただ、その時、彼は連ドラをやっていたので、「半年待つ」と言ったんです。でも橋やんは、「これで勝負すんだろ? 半年も時間もったいないよ」と。僕は運命のようなものを感じていたので、半年待つことにしました。1年格闘して、脚本は13稿まで作った。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

――気持ちが折れそうになったことは?

折れないんだよね。これで勝負すると決めていたし、『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ』(2007年)、『ブタがいた教室』(2008年)に続く命を扱う映画として、これ以上ない題材だと思っていたから。でも今思えば、絶望の中で鹿野靖明が何度も蘇る姿、死にそうになってもしぶとく生き続ける様にも後押しされたのかも知れませんね。

――このインタビューへの淀みない答えを聞いていて、相当自分のものになっている作品なんだと感じました。

原作を映画化するやり方は何通りもあるんですけど、僕は、人間・鹿野靖明を描きたかった。彼の人生をしっかり描ければ、誰も見たことのない映画になると確信していたので。人間・鹿野靖明をみんなに届けたかった。

同時にラブストーリーの要素を入れることにしました。三角関係って黄金比率ですからね、映画の。最初のメモがこれ。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

鹿野靖明がいて、「大ボラ」とか「わがまま」って書いてあるでしょ? 自分探しの「大学生の男」。「短大生のヒロイン」。最初、世間知らずのお嬢様って設定にしていた。違う設定になったけど。周りに「主婦のボランティア」がいて、「無口なボランティア」がいる。「鹿野家」って書いてあるのは、鹿野の周りにいる人々は疑似ファミリーを形成しているから。実際の親はこっち。

「あなたなに様? 障害者ってそんなに偉いの?」

――このメモはいつ頃のものですか?

2015年くらい? 16年の中盤かな。僕が一番やりたかったのは「あなたなに様? 障害者ってそんなに偉いの?」というヒロイン。それを言わせたかった。これは対等だから言えるセリフで、最初のメモにもあります。

もう一つのテーマは“母の愛”。自分が死ねば一番悲しむのは母。要は、一番の親不孝って親より先に死ぬことだから、鹿野さんは絶望的な状況でももっと生きよう。1秒でも長く生きよう。親をもうこれ以上悲しませたくないと思っていた。俺はボラたちとハッピーに生きているから心配するなと……、彼が生きる理由というか原動力だったと思います。

監督が出した大泉洋へのラブレター

――そんな鹿野役は大泉さんにと当初から思っていたんですか? 北海道出身だし、前田監督と『パコダテ人』(2002年)で仕事をして、シンパシーもあって、単に“スター”というだけではない存在だったのではないかと思っていますが、いかがですか?

鹿野役は、大泉さんがやらなければ成立しないと思っていました。だから、そこは命がけ。伊丹万作も今村昌平も言っていますけど、演出の80%はキャスティングで決まりますから。僕も大泉さんに手紙を書きました。

――どんな内容のお手紙だったんですか?

『パコダテ人』で仕事してから14年間の思いと、鹿野に対する思いを書いた。結局、大泉さんは読んでいなかったんですけどね(笑)。情に流されるからって、脚本を読んだ大泉さんが出演を決めてから、マネージャーが手紙を渡してくれた。すごく感動したって後から聞きました。

――大泉さんが出演を決めたポイントはどこだったんでしょうか?

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

それは鹿野という見たこともない障害者の魅力じゃないですかね、推論ですが。それに、鹿野って大泉さん自身じゃないですか。脚本を読んだマネージャーが、コソっと「ボランティアの気持ち分かります」って言ったくらい。近いからこそ演じるのは難しかったと思います。何よりも感動を押し付けるような映画にしたくなかったので、鹿野の飄々とした味を出せたのは、大泉さんだからこそと思います。

――撮影が終わってから、改めて大泉さんと話すことはありましたか?

高畑充希ちゃんとか皆で、札幌でご飯を食べた時、観てくれた人からの感想メールを見せたんです。大泉さんは褒められると素直に喜ぶし、僕も役者が褒められると嬉しい。(三浦)春馬君も大泉さんも感想メールを転送すると返事をくれるけど、充希は「長文は読まないよー」って(笑)。やり切ったから、誰がなんと言おうと、気にならないってことなんでしょうね。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会
左から佐藤浩市、前田監督、三浦春馬、大泉洋

大泉さんは本当に努力されていました。10キロ減量や度付きメガネのためにコンタクトで視力を下げたことなど、ネタにしていますが、鹿野さんの残された映像を研究して、介助の専門家や医療指導の助言を聞いて、徹底してやっていた。でも資料をすべて読み込みましたとか絶対言わない。それがまた素敵なところだし、役者魂がある人。『パコダテ人』の時からそう思っていましたが。

――『パコダテ人』の時からそうだったんですね?

ええ。僕はあれから14年間、彼に恋していたし、タイミングが合えばまた仕事をしたいと思っていました。でもオファーしてもうまくいかない時はいかない。それもこの役での再会のためだったんじゃないかと今では思っています。

新たなる寅さんの登場か!?

――本作は、12月28日公開ですが、もともとここは(松竹のお正月映画)『男はつらいよ』枠ですよね? 鹿野には寅さんのイメージもある。そんな意味もあったのでしょうか?

どうでしょう。でも、鹿野は相談に乗った相手を好きになっちゃうし、疑似家族であるボランティアたちが「鹿野のやつ」と言うのは、寅さんがおいちゃんに「バカだねー」と言われているのと一緒だと思っていました。寅さんみたいに、家族で観られる楽しい映画にしようとしていたのは事実ですから。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

――高畑さん演じる美咲ちゃんは、いうなればマドンナですね?

確かにそうとも言えますね。大泉さんは笑い話にしていますけど、1ページずつ脚本を繰って、電話で演技プランの検証をしたんです。これ、普通は面と向かってやるんですが、大泉さんとは4時間半かかりました。充希とも二人きりで2時間と言っていたのが、3時間強は話し合った。春馬君とは、一度に長い時間だけでなく、何度も何度も話し合いました。

――疑問点なんかはそこで全部解決するわけですか?

感情の流れは解決しますが、もっといい表現はないかと互いに宿題にすることもあります。充希のほうが美咲と年が近いので、ここの感情はどうかな? と気になっていたところを聞いて、「私ならこんなことしない」とかやり取りがあって、どんどん変化していきました。映画は生き物ですから、現場でも変化します。見ての通り、脚本の差し込みもめちゃめちゃありますから。

――こんなに書き込み入れている監督、今そんなにいないですよ。

えー? そう? これでも初めてフリクション使ったのでキレイなほうですよ。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

生き続ける鹿野靖明と進化した「男たちの旅路」

――映画を作るにあたって、鹿野さんの周辺にいた方々にも取材されましたか?

もちろん。あらゆるボランティア、主治医、会える人には会いました。お母さんの光枝さんにも。エンディングのように鹿ボラ(鹿野さんのボランティアを務めた人々の愛称)は、年に数回、いまも集まっているそうです。そこに参加させてもらったら、もう親戚の集まりみたいな感じで。

その時は、初代と三代目の鹿ボラのアイドルが来ていました。みんな結婚して子ども連れで、子どもは走り回るわ、わいわい。鹿野はいないのに、鹿野の話でまだまだ盛り上がるんですよ。皆さん未だに鹿野さんを忘れていない。彼らの中に鹿野さんは生き続けているんです、肉体がないだけで。

――鹿野さんは人たらしだとおっしゃっていましたね。

鹿ボラの人の中には、鹿野靖明から影響受けて、人生を変えた方もいらっしゃいますしね。三代目アイドルが言っていました。「鹿野さんは色っぽい」って。主治医の先生も、本気で好きになりそうになったとか、すごく刺激を受けました。

――山田太一さんの「男たちの旅路」(1976~82年)を思い出させると言われませんか?

言われますし、原作「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(文春文庫刊)のあとがきは、山田太一さんが書いています。原作者の渡辺一史さんも「男たちの旅路」に影響を受けているし、山田太一ファン。もちろん僕も、山田太一も、「男たちの旅路」も大好きで、これ撮る前にもう一回見直したくらい。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』12月28日全国ロードショー
(C)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

――鹿野さんがボランティアに介助されての自立生活を始めたのは1982年。「男たちの旅路」が放送されていた頃となりますが、時代は同じでも本作では、今の現実もまぶして、もう一歩踏み込んだ形で泣き笑いが描かれていますね。

石塚プロデューサーとの合言葉は、「映画として迷ったら、面白い方を選択しよう」というものでした。事実、人間は面白いものに呼び寄せられるものだし。こうやって支えてくれる伴奏者がいたから頑張れた。いいプロデューサーとめぐり会えたということですね。ま、僕がいたから、いいプロデューサーになれたということでもあるんでしょうが(笑)。

映画は一人で作るものではないので。相米慎二が、「おまえ、一個の頭使ってもたかが知れているけど、スタッフが100人いたら、100の頭、使えるんだぞ」と言っていました。本当にその通り。脚本家、プロデュ―サー、3人で熱い議論を重ねたおかげで信頼と友情も芽生えた。

――人たらしという意味では、前田監督の師匠である、相米監督も、憎めない方でしたね。

私にとっては、相米さんが鹿野さんで、橋本さんにとっては、荒戸さんが鹿野さんだな、と話したことがあります。誰にでも周りに、とても厄介で面倒でわがままだけど憎めない、愛しき人っているよなと。

――そして、そんなバトルがあったからこそ、映画が成立した。

もちろん3人だけじゃなく、スタッフ、キャスト皆の知恵があったから。映画に隅々にまで見所が隠されていたり、芯に力強さが出たのも、そのおかげだと思います。映画の中で鹿野が、「いろいろあったな、この1年。ありがとな」と言いますが、「いろいろあったな、この3年半。ありがとな」ですね。



【関連ニュース】

今日の運勢

おひつじ座

全体運

人当たりはとてもいいが、こうと決めたら絶対やり抜く意志があ...もっと見る >