2018/12/23 11:00

「家へ帰ろう」という何げない台詞が、観る者の心を震わせた理由

『家へ帰ろう』
12月22日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
(c)2016 HERNÁNDEZ y FERNÁNDEZ Producciones cinematograficas S.L., TORNASOL FILMS, S.A RESCATE PRODUCCIONES A.I.E., ZAMPA AUDIOVISUAL, S.L., HADDOCK FILMS, PATAGONIK FILM GROUP S.A.

文=圷 滋夫(あくつ しげお)/Avanti Press

世界各国の映画祭で評判を呼び、絶賛を集める『家へ帰ろう』(12月22日より全国順次公開)。冒頭、時代も場所も分からないが、特徴のあるヒゲと帽子をかぶった音楽家がクラリネットやヴァイオリン、アコーディオンなどを奏で、シックなスーツと洒落たドレスに身を包んだ大勢の男女がダンス・パーティーに興じている。哀愁を帯びた響きは、ユダヤの伝統音楽クレズマーだ。

輪になって踊る人もいれば(ちなみに日本人なら誰もが知っている「マイム・マイム」のルーツはクレズマーの音楽と踊りだ)、くるくる回っている人もいて、みんな楽しそうだ。そして最初にスクリーンに映ったのは、東欧圏に多い楽器ダルシマーだ。本作がその地域のユダヤ人についての物語だということが、言葉がなくとも心躍る音楽とともに象徴的に伝わる見事なオープニングだ。

『家へ帰ろう』
12月22日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

果たせなかった約束のための、最初で最後の祖国への旅立ち

場面は変わり、一人の老人が孫たちに囲まれ、所在なさげにソファーに座っている。この老人、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに住むアブラハムが本作の主人公だ。

88歳になって長年続けてきた仕立屋の仕事を引退したが、娘たちの中には彼を自分の家に引き取ろうとする者は一人もいない。それどころか仕事場と自宅を兼ね50年も暮らした思い出深い家を売り払われ、アブラハムは老人ホームに行くことになってしまう。

しかし持ち物の整理をしている時に、お手伝いさんが持ってきた一着のスーツを見たアブラハムは、ある約束を思い出し、そして決断をする。

その日の夜、アブラハムは小さなカバンと一着のスーツだけを持って家を飛び出し、悪くなった右足を引きずりながらタクシーに乗りこんだ。そして飛行機のチケットを手配し、その名を口にするのも嫌だったポーランドへと向かう。それは1945年以来果たせなかった約束のための、最初で最後の祖国への旅立ちだった。

『家へ帰ろう』
12月22日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

生きる歓びと、背中合わせの地獄

映画はアブラハムがブエノスアイレスを出発し、ポーランドの首都ワルシャワ、そして生まれた街ウッチに着くまでを描いたロードムービーだ。

しかしポーランドへの直行便が満席でチケットが取れず、まずスペインのマドリッドに到着する。それから列車でパリへ行き、ベルリンを経由してポーランドのワルシャワへと向かうのだが、行く先々で思いもかけない困難に遭遇する。それでも現地で知り合う人々に助けられながら、なんとか乗り越えようと奮闘する。

それと同時に本作は、ミステリーの要素も備えている。旅の合間に少しずつアブラハムの過去が描かれ、そこで一着のスーツが何を意味するのか、誰と何の約束をしたのか、ポーランドで何が起こったのかという謎が解き明かされてゆく。

またブエノスアイレスの場面では登場しなかった、絶縁してマドリッドに住む末娘との関係も描かれ、父への愛を示しながらも素直になれないその複雑な心境が胸を打つ。そして次第に冒頭のダンス・パーティーが持つ深い意味も分かってくる。そこには生きる歓びと背中合わせの、地獄があったのだ。

『家へ帰ろう』
12月22日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

現在と過去を巧みに象徴する、卓越した映画音楽

頑固でしたたか、そしてすぐに憎まれ口を叩くが、親しくなるにつれて情の厚さとユーモアのセンスも見えてくるアブラハム。そんな難しいキャラクターの主人公を絶妙なバランスで見事に演じたのは、アルゼンチンが誇る名優で、実は撮影時にはまだ60代半ばだったミゲル・アンヘル・ソラだ。

一部メイクの助けはあるものの、移民独特の微妙な発音やアクセントによるスペイン語の会話や、88歳の老いを感じさせる立ち居振る舞いは完璧だ。

またマドリッドのホテルの女主人を演じたのは、ルイス・ブニュエルの遺作『欲望のあいまいな対象』で知られるスペインの大スター、アンヘラ・モリーナだ。

アブラハムに勝るとも劣らない気難しさの中に、ほんのり女性の可愛さが薫る名演技を披露。そしてバーの場面ではジャジーなピアノを伴奏に渋く素晴らしい歌声を聴かせ、過去にアルバムをリリースし、ジョルジュ・ムスタキとのデュエット曲もある歌手としての片鱗を見せてくれる。

音楽もよく考えられている。現在を描く旅のシーンではクレズマーのメイン楽器であるクラリネットを中心とするスコアが流れ、過去の回想シーンでは甘美でノスタルジックなオーケストレーションのスコアが流れる。

そして物語が終盤に差し掛かり、アブラハムが思い出の地を踏みしめ、覚悟を持って自分の過去と向き合う頃、スコアもオーケストレーションへと変わってゆくのだ。

『家へ帰ろう』
12月22日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

「家へ帰ろう」という何気ない言葉が、観る者の心を震わせる

実の子どもたちからは冷たい仕打ちを受け、血の繋っていない他人との間に人の情けを見るという小津安二郎の傑作『東京物語』(1953年)と同様の構図と、まったく望んでいない老人ホームに行かなければならないという非情な状況。それは世界中の多くの国が今まさに直面している、高齢化社会の老後や介護の問題にも繋がるだろう。

そして何よりもアブラハムが生涯を通じて、痛みと悔恨の念を持って胸に秘めてきた人生のドラマは、歴史の重みと多くの人々の胸を揺さぶる普遍的な想いを感じさせる。本作が世界中の映画祭で絶賛され、特に数多くの観客賞を受賞しているということがその証でもある。

本作の原題は「EL ULTIMO TRAJE(最後のスーツ)」。『家へ帰ろう』という日本語タイトルには、ある場面のセリフがそのまま使われているのだが、そんな誰もが一度は口にしたことがあるに違いないごく普通の何気ない言葉に、これ程まで心が震えたことはない。その理由はぜひ、劇場で確かめてほしい。

『家へ帰ろう』
12月22日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

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