2019/01/16 17:00

世代の違いを浮き彫りにする『チワワちゃん』のアプローチ

(C)2019『チワワちゃん』製作委員会

『ヘルタースケルター』(2012年)、『リバーズ・エッジ』(2018年)に続いて、伝説の漫画家、岡崎京子のコミックが映画化された。『チワワちゃん』(1月18日公開)。1994年に発表されたわずか34ページの短編漫画を、Instagramが人生を変える21世紀仕様に仕立て直し、原作のスピリットには忠実に、しかしきわめて現代的な青春映画として完成させたのは若干27歳の二宮健監督。

この作品には「最前線」の風が吹いている。そして、同時に平成の締めくくりにふさわしいモニュメンタルな趣がある。スピーディでありながら懐深い監督の手腕もさることながら、本作最大の見どころは、今が旬の20代俳優が集結していること。時代の転換期にふさわしい、その華麗にして深遠なキャスティングに注目してみたい。

(C)2019『チワワちゃん』製作委員会

あらかじめ傷を回避する若者たち

東京湾バラバラ殺人事件。判明した被害者の身元は、千脇良子、20歳、看護学生。だが、彼女をよく知る仲間たちはその本名を知らなかった。「チワワちゃん」というニックネームだけが独り歩きしていたからである。

映画は彼女の死後、仲良しグループの一人だったミキが「チワワはどんな娘だったのか?」をメンバー一人ひとりに訊いていくという構成。インスタでブレイクし、一躍人気モデルへと躍進を果たした「チワワちゃん」。その明るい笑顔の裏にあったものを、さまざまな角度から浮き彫りにする。

主人公のミキに門脇麦。チワワちゃんとラブラブだった恋人ヨシダに成田凌。ヨシダの親友カツオに寛 一 郎。チワワの親友ユミに玉城ティナ。チワワに片想いしているナガイに村上虹郎。そして、タイトルロールのチワワちゃんには新人、吉田志織。この6人がいずれも素晴らしい。

門脇と成田は昨年公開された『ここは退屈迎えに来て』や、今年5月公開予定の『さよならくちびる』でも距離の近い男女を演じている名コンビ。

ミキは短い間だけヨシダと付き合っていたことがあり、今も忘れられないでいる。それだけに、ヨシダを夢中にさせたチワワに羨望と妬みの入り混じった複雑な感情を抱いている。だが、それをおくびにも出さず、あえてサバサバとしたボーイッシュな態度で、ヨシダにも仲間にも接する。そんな割り切れない乙女心を体現させれば、いま、門脇の右に出る者はいないだろう。

(C)2019『チワワちゃん』製作委員会

そして、女にとことんだらしなく、非情な面もあるのに、どこか清冽なピュアネスを感じさせるヨシダを快演する成田。不安定さを抱えながらも、それを表に出すことはよしとはしないミキとヨシダは似た者同士と言える。たとえばSNS上のキャラという仮面=アバターを身につけながら、この世界をサバイブしていくことがもはや当たり前になっている若者の心情が、絶妙な距離感からあらわになっている。

門脇と成田の共演作が続いているのは、傷つくことを避けたいがゆえに、あえて鈍感なふりをして「自分は傷つかない」と自己暗示にかけているような痛々しさが、役者としての肌合いにおいて、どこか通じているからかもしれない。

二人とも出演作が多数待機する売れっ子だが、なぜ門脇と成田が時代に求められるかが、『チワワちゃん』を観るとよくわかる。そう、あらかじめ傷を回避する「過剰防衛」な心のありようを、この二人は説得力豊かに伝えることができるのだ。

(C)2019『チワワちゃん』製作委員会

弱さと強さ、儚さと明るさ、光と影をもつリバーシブルな青春模様

寛 一 郎と村上虹郎は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2017年)でも顔を合わせている。門脇や成田より4、5歳年少の寛 一 郎と虹郎も、どこか通じるものがある。グループ内では傍観者的な立ち位置ながら、冷静さがむしろ優しさや温かさにふいに転換するような佇まいのカツオを、寛 一 郎は実にセンシティブに写し取っている。

そして、映画監督志望でチワワに片想いしているナガイを、虹郎はシャイなキャラクターの一途さの中にあるしぶとさ、頑なさを愛しい感触で体現している。寛 一 郎も虹郎も、安易なカテゴライズを拒む演じ手だ。強さの中に弱さがあり、弱さの中に強さがある。そんな人間性を魅力的に画面に刻みつける様に見惚れる。

チワワに扮した吉田志織は今後大化けしそうな未知数に満ちている。明るさがはらむ儚さ。いや、生きることは儚いと知っているからこそ明るく振る舞う女の子のリアルがそこにある。

そして、そんなチワワの親友で、プールでのキスシーンでは同性愛的な危うささえ垣間見せるユミには玉城ティナ。劇中のチワワのように、現実にファッショニスタとして大きな影響力を持つ玉城の光と影を感じさせる存在感もたまらない。

6人の役どころと演技を見つめていると、平成の大詰めにおける若者のリアリティが、切実さを伴って迫ってくる。誰もがチワワのように、表裏を生きている。表は裏で、裏は表。そんなリバーシブルな青春模様を一層際立たせる存在が、浅野忠信だ。

(C)2019『チワワちゃん』製作委員会

旧世代、浅野忠信が明るみにするもの

6人より20歳以上年長の浅野は、原作が発表された1994年、まさに今の村上虹郎と同じ21歳だった。まだ主演作『Helpless』(1996年)が公開される前であり、当時は岩井俊二監督の意欲的な深夜ドラマなどでまさに一大ブレイク直前だった。

あれから25年後、『チワワちゃん』で浅野はチワワちゃんの新しい恋人になるカメラマン、サカタを演じている。モデルとして頭角をあらわしつつあったチワワを写真スタジオで撮影しながら、容赦ない責め言葉で追い込んでいくサカタは、浅野ならではの迫力。同時に、現代の若者との違いが明確になっている。

浅野が若者だった1990年代は、バブルがはじけたあとの「焼け跡」としての平成日本で、それでもタフにマイペースを貫く人々が映画で描かれていたと思う。青春映画もしかり。とりわけ、浅野が牽引していった作品群は、孤立をおそれない主人公の生き様が鮮烈にスクリーンに刻まれた。

1980年代のように、浮かれた明るさはもうなかった。だからこそ、昭和の狂騒の残り香にうつつをぬかす上の世代を侮蔑し、カウンターとして睨みつけるような凄みの象徴としての役割を、浅野忠信という稀有な俳優は担っていた。

2019年。平成という時代が終わる頃、若者たちはかつてないほど優しい。俳優たちもそうだ。しかし、だからこそ、せつない。

(C)2019『チワワちゃん』製作委員会

チワワに向かってシャッターを切るシーンで、サカタは苛つきながら言葉を投げつける。もちろん、それはサカタお得意の「口説き文句」でもあるのだが、それなりのプレイボーイであるらしいヨシダが女の子たちにする「アプローチ」(観てのお楽しみ。成田凌の芝居が素晴らしい)との対比がより一層、世代の違いを浮き彫りにする。

浅野忠信はある意味、平成という時代を象徴する存在だが、その時代が終わる頃、若者たちはこんなにも優しくなっていた。『チワワちゃん』は、時代と無縁ではいられない青春と若者を記録している。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)

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