2019/02/13 06:30

神木隆之介と有村架純、絶妙に溶け合う奇跡の黄金律

(C)2019「フォルトゥナの瞳」製作委員会

神木隆之介と有村架純は、ドラマや映画でこれまでに3回共演している。だが、恋愛関係にある役どころはなかった。直近では映画『3月のライオン(前編・後編)』(2017年)。二人は血のつながらない姉弟だった。ほぼ同年代ながら、あどけない面持ちの神木としっかりした雰囲気の有村は、姉弟という距離感がぴったり。

 そんな二人が新作『フォルトゥナの瞳』(2月15日より公開)では主人公とヒロインに扮して、恋人同士を初めて体現している。これがすごくよい。両者の個性が絶妙な配分で溶け合い、「黄金律」と呼んでいい、奇跡的な融合を果たしている。

(C)2019「フォルトゥナの瞳」製作委員会

孤独なまなざしが恋をするとき

神木扮する主人公、慎一郎は「死を目前にした人間が透けて見える」という特殊な能力を有している。どうやらそのパワーは、幼い頃体験したある不幸な事故によってもたらされたらしい。その事故によって彼は両親を失い、以来孤独と共に生きてきた。 

彼の面倒を見ている、自動車整備工場を営む夫婦はいる。だから、温もりは知っている。だが、凍てついた心が溶けきったことはない。ほんとうの恋愛にも巡りあってはこなかった。 

神木はもともと演技には定評がある。子役出身でキャリアは長い。つまり、様々な経験値がある。だが、すれた演技に陥ったことがない。たとえば、巧いだけで、悪どくこなれた芝居には絶対にならない。だから、ここでも孤独を笠に着て、観る者の心をみだりに翻弄するような瞬間は一切ない。たとえば「可哀想」などとは思わせない、ほんとうの意味での孤独を宿している。

そう、個人の孤独は、他の誰にも共有できない。神木の表現は、いつだってそのことに気づかせてくれる。今回もそうだ。慎一郎という青年は、ぎりぎりの淵に立ちながら、それでも、一人ぼっちなりの暮らしを地道に歩んできた。そして、これからも歩んでいくのだろうということを、そのまなざしだけでかたちにしている。

そんな、恋など永遠に諦めていたはずの慎一郎が恋をする。したためてきた硬質な人格が、ゆっくりと柔らかな小さな光を放っていく姿を、神木は丁寧に繊細に体現する。

そうだ、そうなのだ。恋とは、こんなにもおずおずとしていながら、けれども、人生が決定的に変わってしまう、その瞬間に対するおののきだったことを、わたしたちは思い出す。神木隆之介の観客の深層心理に触れてくるアプローチ。その充実の極みが『フォルトゥナの瞳』には宿っている。

(C)2019「フォルトゥナの瞳」製作委員会

意志のある口元が恋を飛び込ませる

神木の演技の中心にあるものがまなざしだとすれば、有村架純の芝居の核となるのは、あの口元である。

有村という女優の最も強靭な魅力は、意志的な口元にある。とりわけ、無言で相手の話を聴き、相手を見つめているときの口元に注目してほしい。彼女が固有の輝きを放つのは、まさにあの瞬間である。 

本作で扮したヒロイン、葵はとりわけ、秘めた事情のある役どころのため、その意志のありようにすこぶる吸引力がある。ラスト近くまで、その真相は明かされないし、有村の演技もギリギリまで死守している。だからこそ、彼女の口元の力強さ、それと同時にある豊かさから、目が離せなくなる。

恋を知らなかった慎一郎が、思わず恋に飛び込んでしまうような女性の第一印象を、有村は見事に全身であらわしている。慎一郎にとって、「この人は運命の人だ」と思わせるサムシングがそこにはある。

キュートなだけではない。かといってミステリアスさを前面に押し出しているわけではない。好きにならずにはいられない。そんな理屈を超えた吸引力が、そこにはある。

(C)2019「フォルトゥナの瞳」製作委員会

恋に落ちた二人の変化は、神木のまなざしと、有村の口元が、交差し、微かにこすれあうことで、魂の摩擦熱を生じさせ、かけがえのないものとなる。

慎一郎にせよ、葵にせよ、これからの自分の未来に恋が「やって来る」とは思っていなかった。だが、そんな二人が、いざ恋が「訪れた」とき、こんなふうに受け入れるのか。その発見、その感動こそが、この映画を体験する最良の歓びだ。 

神木隆之介の孤独と、有村架純の意志。出逢うべくして出逢った二人の「結びつき」を、静かに祝福したくなる。過酷な物語だが、一組の男女の行方を見届けたとき、わたしたちの心には必ず灯る明かりがあるはずだ。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)

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