2019/03/08 06:30

地域振興…だけじゃない!夏帆主演の“鹿児島映画”が注目な理由

『きばいやんせ!私』3月9日(土)より有楽町スバル座他全国ロードショー
(C)2018『きばいやんせ!私』製作委員会

先ごろ惜しくも亡くなった佐藤純彌監督が生前、茨城県の人々の出資によって製作された時代劇『桜田門外ノ変』(2010年/佐藤監督の遺作)に関して、「今後こういった地域振興型の映画が増えてくれれば、日本映画にまた新しい可能性が出てくる」と語りつつ、「ただし地域振興型だとどうしても題材がその地域の特性なりに焦点を絞りがちになるので、全国展開しづらいデメリットもある」とコメントされていたのを思い出す。

実際、地域振興型の映画はその後続々と作られるようになってきている。作る側にしても現実的に東京は撮影許可が下りないところが大半で、むしろ地方のほうが撮影しやすく、地元の人たちからも歓迎されやすい傾向はある。

しかし一方では佐藤監督のコメント通り、その地元以外の人々に興味の目を向けてもらえない仕上がりになりがちなのも事実ではあるのだ。

武正晴監督、足立紳らが描く鹿児島

実は昨年、私の故郷の隣町でもある鹿児島県南大隅町で映画のロケが行われていると、地元の友人や親族などから興奮気味の連絡を幾度かもらったりしたのだが、正直こちらも業界歴が長い分「どうなのかなあ?」とスレた目で見守っていたのが本音ではあった。

ただし、唯一注目していたのが、監督が『百円の恋』(2014年)、『嘘八百』(2018年)、『銃』(2018年)など今乗りに乗っている武正晴監督であり、原作・脚本(脚本は山口智之と共同)も『百円の恋』、『お盆の弟』(2015年)そして3月には快作『こどもしょくどう』が控えている足立紳という布陣であること。
(ちなみに偶然ながら、武監督の父親、足立紳の母親は鹿児島県人とのこと)

これはどうなのか、いやもしかしたら……などなど、かくして期待と不安半々の面持ちで臨んだ映画『きばいやんせ!私』(3月9日公開)は、地元の魅力を存分に救い上げたご当地映画としての任を心地よくまっとうしながら、若い女性の成長を普遍的に描き、なおかつ本作のモチーフとなる古き良き伝統の継承などを汎世界的感覚で訴え得た快作に仕上がっていた!

ちなみに「きばいやんせ」とは鹿児島の方言で「がんばりなさい」という意味だが、まさに「きばいやしたなあ!(がんばりましたね!)」と、地元出身者(正確には隣町だが)として快哉を叫びたくなるものがあったのだ。

きばいやんせ!私 サブ3

不倫騒動のやさぐれアナが取材で九州最南端の町へ

『きばいやんせ!私』の主人公は、東京のテレビ局でアナウンサーを務めつつ、不倫騒動で人気ガタ落ちで今やすっかりやさぐれている児島貴子(夏帆)。

そんな彼女に、九州最南端の鹿児島県南大隅町で1300年来続く奇祭“御崎祭り”の取材が命じられる。

実は彼女、子どもの頃に一時ではあるがこの町に住んでいたことがあったのだが、当時の記憶はうつろで、一方では太郎(太賀)や洋平(岡山天音)など当時の自分を知る同級生などもいるだけに、妙にやりにくい(当然、彼女のスキャンダルも町全域に知れ渡っている)。

しかも今やその祭り、若者の人手不足で神輿を軽トラックで運ぶという、とてもテレビとして画にならない期待外れのものであった。

人気MC時代に身についた高飛車ぶりが未だに抜けない貴子は、思わず実行委員会の人々に向かって「みなさんにとって祭りとは何ですか? これが誇りですか?」などと啖呵を切ってしまうのだが、実はこれがきっかけとなって祭りを以前のように復興しようという気運が芽生え始め……。

きばいやんせ!私 サブ1

本作は今では廃れた祭りの復興を通して、人気が廃れてくさりきっているヒロインの再生を、南大隅の大自然(昨年のNHK大河ドラマ『西郷どん』オープニング映像に出てくる雄川の滝でも有名)を背景に描いたものである。

まずは都会と田舎のギャップなどがユーモラスに描かれていくが、そのあたりは定番として、その後でどういった展開を示していくかに映画としてのキモがあるのだが、ここではヒロインがかつてその町に住んでいたという過去がさりげなくも重要なポイントとして配置されている。

放浪貧乏画家だった亡き父との思い出を徐々に呼び起こしていく貴子の心の彷徨が、そのまま彼女の再起に繋がっていく過程が、大自然との調和をもって、まずは実に気持ちよく伝わってくるのだ。

きばいやんせ!私 サブ5

仕掛けられたキャスティングの妙

そもそも主演の夏帆は出世作『天然コケッコー』(2007年)以来、都会の高層ビル街よりも地方の海や山を背景にした作品で、より魅力を発揮するタイプの女優であると漠然と思ってはいたが、本作でそれを強く確信することができた。

また彼女と父を知るという、食堂のおばちゃんユリ(愛華みれ)の、よそから流れてきたといった、ちょっと地元民とは雰囲気を違えたハイカラな風情が、貴子の落ち着きの悪さを巧みに包み込んでいく。

ちなみに愛華みれは南大隅町の出身で、また飄々とした町長役の榎木孝明も鹿児島県出身なだけに、ふたりが話す鹿児島訛りの台詞の数々が地元を知るものとしては実にリアルで心地よい。

かと思うと実行委員会の大物を演じる伊吹吾郎は北海道出身で、彼と榎木孝明が対峙するあたり、「南北の雄、相まみえる」といった隠れたお遊びも感じられる。

さらにおかしかったのが、地方を食い物に私腹を肥やそうとするいかがわしい映画プロデューサー(鶴見辰吾)まで劇中に登場するが、本作は「こういう輩には気をつけて!」と、地方のみならずロケ地の人々に注意を促しているかのようだ!?

きばいやんせ!私 サブ4

ヒロインの普遍的再生と祭りの不変的信仰性の両立

出色なのは山元淑稀の音楽で、特に貴子が町を記憶巡りしながらさすらうシーンの抒情や、クライマックスの祭りになるや一切の台詞や効果音を排して音楽だけで展開される秀逸な描写もあり、またそこでの荘厳な響きが汎アジア的情緒を醸し出しながら画を映えわたらせていく。
(恐らくこのあたりの描写は、西洋の映画祭などで上映すれば喝采されること必至)

はじめユーモラスに、中盤をヒロインの心情を繊細に描出していく武監督の達者な演出は、クライマックスの祭りのシーンで実際に太賀と岡山天音に神輿を担がせ、彼らの若き肉体と精神の限界ギリギリまで追い詰めていく過酷と慈愛を両立させたキャメラアイによって、さらに神々しいまでの輝きを放っていく。

祭りとはそもそも神に捧げる“祀り”でもあるわけだが、本作のクライマックスは仰々しさとは無縁の、今も昔も不変ともいえる民間の信仰の想いが見事に活写されている。

きばいやんせ!私 サブ2

ヒロインの普遍的心理描写と、祭りの不変的信仰心を、南大隅の大自然を背景に描き得た快作、それが映画『きばいやんせ!私』の本領と言ってもいいだろう。

最近の地域振興型映画のもっとも良き見本として、それ以上に日本映画の一つの可能性を示唆し得た快作として、鹿児島県民ならずとも必見の快作として、本作は強く訴えたい。

ホント、改めて「よう、きばいやしたなあ!」

(文・増當竜也)

(C)2018『きばいやんせ!私』製作委員会

今日の運勢

おひつじ座

全体運

忙しく走りまわるわりには、実りが少ないかも。余計なことには...もっと見る >