2019/03/13 06:30

映画俳優「草彅剛」が醸す、アウトサイドを生きる男の余韻

(C)2019「まく子」製作委員会/西加奈子(福音館書店)

草彅剛がいかに芸達者な俳優であるかについては、ファン以外のひともかなり認識しているのではないだろうか。

なぜなら、普段(といっても、あくまでもバラエティ番組などで見ることのできる「普段」ではあるが)の彼の、どこかのほほんとした風情とは明らかに違う「異相」が、演技の場においては平然と披露されているからである。

この底知れぬ技巧は、舞台でも、ドラマでも、その凄さの質を変えながら展開されているが、ここでは新作『まく子』公開(3月15日より)を記念して、映画の草彅剛について考えてみたい。

実はワイルドな肉体派

現在進行形の俳優・草彅剛にリアルタイムで接しているひとなら、そのようなことはほとんどないとは思うが、草彅は未だに初主演した連続TVドラマ「いいひと。」のイメージ(たとえば無垢で無欲で無害な、というような)で語られがちな演じ手ではある。あれは1997年。いまから20年以上も前の作品だ。

どちらかと言えば、草彅は映画においてはワイルドな役を演じることのほうが多い。初期からそうであった。

日本を代表する異才、黒沢清監督の『降霊』(1999年)では、主人公の夫婦の運命を暗転させるきっかけとなる大学生を、まるで「闇の使者」のごとく、不定形でとらえどころのない不敵さを顔面にたたえながら体現していた。不穏なメッセージを伝えるかのような、独特の発声も忘れがたい。

続く『黄泉がえり』(2002年)は感動作として知られてはいるが、草彅扮する主人公がヒロイン・竹内結子をビンタするシーンが鮮烈で、この俳優が身体で人物像を説得力のあるものにする「肉体派」でもあることが証明された。

『日本沈没』(2006年)、『BALLAD 名もなき恋のうた』(2009年)、『任侠ヘルパー』(2012年)あたりは、誤解をおそれずに断言すれば心身ともに「マッチョ」なキャラクターとも言える。

とりわけ重要なのは『山のあなた 徳市の恋』(2008年)で、ここでは盲目の人を演じたが、その人物像のひねくれ具合、それと同時にある強烈な自負、揺らぐことのないアイデンティティの吸引力は、映画全体が素朴でナチュラルなタッチなだけに、際立った。

草彅は、ツイストの効いた役を、映画にふさわしいリアリティをたずさえて演じる名手であり、その方向性を極端に推し進めたのが『中学生円山』(2013年)であった。

宮藤官九郎監督渾身の思春期脳内爆発映画である同作において草彅は、復讐の鬼と化した(と思われる)正体不明のシングルファザーを快演。中学生男子の妄想の産物にも、現実と地続きの猟奇性の顕在化にも思える、とりとめのない存在感は破格で、観てしまった者の脳内にこびりつく何かを有していた。

「助演」で魅せる、現実感のある「大人」の姿

『中学生円山』で草彅の名前はキャストのトップにあるものの、物語の主人公は中学生・円山克也であり、役柄としては「助演」であった。『降霊』もそうだが、草彅は助演であっても、すこぶる味わい深い芝居を見せている。

高倉健主演の『あなたへ』(2012年)での助演ぶりは、名優と呼んでいいほどの高みに達している。ここでは日常の屈折がミルフィーユのように畳み込まれたサラリーマンの悲哀を、決して多くはない出演シーンできわめて印象的に伝えた。

酒に酔いながらの吐露のシーンは、わたしたちが人生のどこかで出逢ってきた数々の「哀しき中年男」たちを想起させるもので、その普遍性と臨場感は、息をのむほどだった。

オムニバス『クソ野郎と美しき世界』(2018年)や『進撃の巨人』シリーズ(2015年)での特別出演を除けば、クレジット上は『あなたへ』以来となる助演が、新作『まく子』である。草彅はここで、小学5年生男子の父親を演じている。視点の軸は息子にあるので、これは完全なる「助演」だ。出演シーンも少ない。

だが、これがいい。少年の目から見た「大人」。『中学生円山』と同等のポジショニングだが、あのときとは打って変わって、小学生男子にとっての「他者」としての父親を、さり気ない現実感をにじませながら、さらりと演じている。

男の子にとっての母親が「最初に出逢う女性」だとすれば、父親は「最初に出逢う他者」だ。血はつながっているが、母親のような「近さ」はなく、同性の「よくわからない大人」として存在している。

(C)2019「まく子」製作委員会/西加奈子(福音館書店)

人物の可能性すべてを抱擁する芝居

『まく子』の舞台は山間の温泉街。その旅館の息子・サトシが主人公である。旅館を切り盛りしているのは母・明美であり、草彅演じる父・光一は料理長ではあるが、影は薄い。光一は浮気性で、ときどき母親以外の女性と密会している。サトシはその姿を目撃したことがあり、「こんな大人にはなりたくない」と思っている。

光一は押し出しの強いタイプではない。息子に対しても威圧的に振る舞う父親ではない。だが、どこかやさぐれている。何かを諦めているようにも映るが、気ままに生きているようにも思える。

草彅の芝居は、光一を「こんな人物」と断定することなく、「そうかもしれない」という可能性すべてを抱擁するかのようだ。

一般家庭におさまるタイプではないが、アウトサイドに生きるほどの覚悟もない、「なんとなく道を外れている」者の、いい加減さ。それと共にある、平常心の怯え。つまり、「オレはオレだ」と豪語できるわけでもなく、かといって、ありきたりに生きたいわけでもない、無計画で、ちょっぴりズルい「大人」がそこにいる。

草彅のカジュアルなのに精妙な演技が、冴えわたる。最終盤の息子との語らいは名場面だが、そこでの発語の、トーンの変化の積み上げ方は、まさにお見事。ごく一瞬のようにも思えるこのシークエンスには、心底唸らせられる。

それがほんとうのことかどうかは定かではないが、草彅は、脚本は「自分のところしか読まない」と公言している。つまり、相手役が何を言うかはわからないまま演じている、らしい。

草彅のこのアプローチは、人物像を一定の枠にハメず、観るひとぞれぞれの胸に「多彩な像」を投影させるためなのかもしれない。

『まく子』での役どころは決して派手ではないが、俳優・草彅剛の実力がじわじわと伝わり、それが作品の余韻にも結びついている。

(文・アドバンスワークス)



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