2019/04/02 06:30

『バイス』に見るアメリカの圧倒的な“風刺”の力

『バイス』
2019年4月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国で公開
(C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

文=村尾泰郎(Avanti Press)

実在の政治家を主人公にした物語、と聞くと何だか堅苦しそうだが、『バイス』(4月5日公開)は最高におかしくてためになる映画だ。しかも、笑いながら背筋が冷たくなるという珍しい経験もさせてくれる。

本作の主人公は、ジョージ・W・ブッシュ大統領のもとで副大統領を務めたディック・チェイニー。彼こそはブッシュを影で操り、ホワイトハウスに影の帝国を築き上げ、アメリカを泥沼の戦争に導いたフィクサーだった。本作はチェイニーの知られざる半生を、ブラックなユーモアを織り交ぜて描いていく。

『バイス』 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

取り柄のない飲んだくれが、酒より楽しい権力にはまって…

フィクサーになる前、若かりし頃のチェイニーは、有名大学に入学したものの遊びほうけて中退。電気工として働くが、酒で問題を起こして、たびたび警察の厄介になり、その都度、妻のリンが身柄を引き取りにいった。

リンはチェイニーとは反対に、成績優秀の美人で野心家。そんなリンに遂に「あなたには愛想が尽きたわ!」とキレられたチェイニーは、「もう君をがっかりさせない」とリンが望む政治の道へと進むことを決意。ワシントンの連邦議会にインターンとしてもぐりこみ、下院議員のラムズフェルドと運命の出会いをする。

〈ナイフの達人のように権力を操る男〉、ラムズフェルドに忠誠を誓ったチェイニーは、ラムズフェルドから政治家としての生き方を叩き込まれてトントン拍子に出世。これまでなんの取り柄も無かった男は、酒より楽しい権力にハマっていった。

『バイス』 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

ブッシュを巧みに操るホワイトハウスの影の大統領

チェイニーは目立つタイプではないし、声高に主張したりもしない。演説は大の苦手。大統領という最高の権力を手に入れることを夢見るが、彼にはリーダーとしての魅力に欠けていた。

チェイニーは手にしたコネで巨大石油会社のCEOに招かれ、一時は政界を離れて悠々自適の生活を送っていたが、そんなある日、一本の電話が入る。それはブッシュ家のドラ息子、ジョージが大統領に立候補するにあたって、副大統領になってくれないかという誘いだった。

リンは「副大統領なんて、大統領の死を待つだけのつまらない役職」と吐き捨てるが、ブッシュのことを知るチェイニーは〈これはチャンスかも〉と考える。そして、ブッシュと面会して「君は直感で物事を判断するリーダーだから、面倒な事務仕事は私が担当しよう」と持ちかけ、ブッシュはその意味を深く考えずに笑顔で承諾。

そして、ブッシュが大統領に就任すると、チェイニーは大統領のもとに集まる情報をすべて掌握する権限を手にして、ホワイトハウスの影の大統領に就任。ブッシュが何か決断を迫られると、その横でヒソヒソと呟いてブッシュを巧みに操った。

『バイス』 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

ブラックな笑いを最大限に引き出すクセモノ揃いの出演者

政治的な理念も主張もなく、ただ権力をこよなく愛する男が、アメリカを自由に動かす夢の力を手に入れ、やがてイラクと戦争を始める。チェイニーは石油会社と繋がりがあったので、イラクの石油が欲しかったという説もあり、だとしたら私利私欲で戦争を始めたことになる。

そんな悪夢のような実話をコメディに仕立てたのは『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015年)で金融界の裏側を描いたアダム・マッケイ。コメディ出身だけに笑いのセンスは抜群で、ギャグで笑わすのではなく、巧みな語り口や会話でチクチクと笑いのツボを刺激する。そして、その笑いを最大限に引き出すのがクセモノ揃いの出演者だ。

チェイニーを演じるのは、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』でも主演を務めたクリスチャン・ベール。役作りのために体型まで変えるカメレオン俳優として知られるベールだが、今回も体重を20キロ増やし、20〜70代までのチェイニーを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。

ディック・チェイニー本人(左)とクリスチャン・ベール(右)

そのほか、リン役はエイミー・アダムス。ラムズフェルドはスティーヴ・カレル、ブッシュは『スリー・ビルボード』(2017年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したサム・ロックウェルと、シリアスなドラマもコメディもこなせる実力派ばかり。

リン・チェイニー本人(左)とエイミー・アダムス(右)

単なるモノマネではなく、それぞれがオリジナルのキャラクターを真面目に掘り下げていて、名優達が真剣に演じれば演じるほど本人のアクが浮かび上がり、そこに可笑しさが生まれてくる。ベールが演じる不気味なチェイニーもさることながら、終始何もわかっていない、空っぽ感丸出しのロックウェル版ブッシュも最高だ。

ジョージ・W・ブッシュ大統領本人(左)とサム・ロックウェル(右)

社会問題を徹底的にリサーチした知的な脚本があってこそ

ブッシュの影でやりたい放題になったチェイニーは、広告代理店を使って世論を巧みに操作。表現の仕方ひとつでコロッと騙され、難しい問題を考えるのは苦手な大衆を手玉に取って、次々と富裕層や国家に都合がいい法案を通して戦争へと突っ走っていく。

その悪夢のような過程は、笑いながら背筋が寒くなる。果たして今の日本は? と考えると、とても他人ごととは思えない。本作はそうした社会問題を徹底的にリサーチした知的な脚本と、役者の確かな演技で骨太なドラマに仕上げている。

また本作は、手をとりあって権力の頂きを目指したチェイニーとリンのラヴストーリーでもあり、さらに保守的な共和党の議員でありながら、同性愛の娘が生まれて悩むホームドラマの要素もある。そうした様々な要素が、物語に奥行きを生み出しているのも本作の魅力だ。

『バイス』 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

日本のお笑いでは忘れられがちな、風刺の力

それにしても、真っ正面から政治を扱い、しかも実在する政治家を登場させて、洗練されたコメディを作り上げるハリウッドの底力には驚かされる。しかも、制作したのはブラッド・ピットで、アカデミー賞5部門ノミネートという快挙は、忖度だらけの日本では考えられない。そこには、最近の日本のお笑いでは忘れられがちな、風刺の力が息づいている。

風刺とは、笑いを通じて政治や社会の愚かさを暴き出す庶民の知恵。笑いは娯楽だけではなく、時として武器にもなることを、この過激なコメディが改めて教えてくれるはずだ。

ちなみに「バイス(Vice)」は「悪徳」と「2番目の役職」というふたつの意味を持ち、「副大統領」は「Vice President」となるらしい。両方の意味を併せ持ったチェイニーは、掛け値なしにバイスな男(バイス・ガイ)だったのだ。

『バイス』 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.



【関連ニュース】

今日の運勢

おひつじ座

全体運

何事もハッピー気分で楽しめる一日。ポジティブシンキングでい...もっと見る >