2017/05/19 06:00

草刈正雄 初めて語る亡き母の教え「年を重ねるほど素直に…」

 
「亡き母に、『真田丸』を観てもらいたかった。時代劇が好きな人でしたから、きっと喜んでくれたと思います」
 
昨年のNHK大河ドラマ『真田丸』で 昌幸ロス を巻き起こしたことが記憶に新しい草刈正雄(64)。今月12日に発売した初の写真集では、亡き母・スエ子さん(享年77)との お宝2ショット も公開。今回、最愛の母との 57年間の絆 を初めて明かしてくれた。
 
草刈は1952年、福岡県小倉市でアメリカ人の父とスエ子さんとの間に生まれた。しかし米兵だった父は、草刈が生まれる前に朝鮮戦争で戦死。兄弟もおらず、ずっと 母1人、子1人 の2人暮らしだったという。
 
「母は、ひと言でいうと すごく厳しい人 だったかな。典型的な 九州の女 。でも今思えば、『私が父親代わりにならなきゃ』という思いもあったのかもしれませんね。母は日用品の卸売店で働きながら、女手ひとつで僕を育ててくれましたから」
 
やんちゃで母を困らせていたという正雄少年も、中学生になると早く自立するためにアルバイトを始めた。
 
「中学のころから新聞配達をしていました。高校は定時制だったから、授業の後に野球の練習をして、その後にスナックのバイトへ。本の訪問販売もしていました。大変でしたが、それもいい経験だったなと思います」
 
そして17歳のときに、アルバイト先のスナックのマスターの勧めでモデルの仕事を始めることになった。
 
「僕がモデルになるため上京するときには、母はまったく反対しませんでした。内心は行かせたくなかったのかもしれませんが、『好きにしていいよ』と背中を押してくれました」
 
上京した草刈は、1年後に東京へ母を呼び寄せたという。
 
「母は、仕事もやめて僕と一緒に東京で暮らし始めました。この道で食べていけるかどうかという状況でしたから、正直 賭け でしたね」
 
その不安とは裏腹にモデルを始めて3カ月後、資生堂のCMに大抜擢。それがきっかけで、俳優の道がひらけた。
 
「僕の結婚を機に母とは別々に暮らすようになったのですが、母が体調を悪くしてから亡くなるまで15年ほどは同居していました。母は孫の世話もよくしてくれて、娘たちをあちこち連れていってくれていましたね」
 
しかし、そんな幸せいっぱいの草刈家三世代が寄り添う日々は突然、終わりを告げてしまう――。
 
「母は喉頭がんもやったし、乳がんにも罹り、糖尿病も抱えていました。入院していた時期もありました。そして7年前の夏、突然、自分の部屋で息を引き取っていました  。脳梗塞でした」
 
昨日まで元気だった母との 突然の別れ 。病気がちだった母と晩年の15年間を同居したことはこれ以上ない親孝行だったはずだが、草刈自身は「もっとしてあげられることがあったのでは」といまだに後悔することも多いという。
 
「東京に呼んでよかったのかと、落ち込んだりもしました。母は最期まで 九州女 でしたから、東京で僕たちと暮らしたことが果たして幸せだったのか  。さらに上京したころ、母はまだ30代後半。再婚のチャンスもあったのかもしれませんが、死ぬまで未婚を貫きました。いまも、そんな母のことを思い出します」
 
母を亡くした悲しみのなかで、ふと気付いた 母の教訓 があるという。
 
「生前、母は『ありがとう、ごめんなさいと素直に言える人になりなさい』とよく言っていました。歳を重ねれば重ねるほど、素直になるのが 勝ち だなと思うようになりました。経験を積んでくると変なプライドが身についてしまいがちなので、素直であり続けるのは難しいですよ。でも、そうした垢を削ぎ落として、謙虚に頑張っていきたいですね」

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