2017/10/19 11:00

「オールナイトニッポン」50年の事件簿ーー創成期の功労者が語る

 
「それまでの深夜放送は、トラック運転手や水商売の人など深夜労働者に向けたものでした。しかし、受験競争が激しくなり、夜遅くに机に向かいながら、1人でラジオを聴いている若者がものすごく増えてきた。そんな孤独な若者の夜に寄り添った番組が作りたかったのです」
 
そう語るのは、番組創成期の人気パーソナリティだった亀渕昭信さん(75)。カラーテレビが一家に一台という時代が近づき、ラジオの存在意義が危ぶまれた'67年10月、ニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン』はスタートした。
 
「最初は制作費も少なかったからパーソナリティは局アナが担当。でも、折り目正しく話すのではなく、リスナーに語りかけるようなスタイルで、個性を出し、面白いことをやろう、と。ちょうど始まった年に『帰ってきたヨッパライ』が関西で話題になっていて、番組で流したら 今の曲は何? と問い合わせが殺到。そこで一晩に5回流したことも(笑)。テレビではできない、くだらないことをやろうと、いつもワクワクしていました」(亀渕さん・以下同)
 
瞬く間に若者たちの心をつかんだ『オールナイトニッポン』。その半世紀にわたる 事件史 を、亀渕さんと共に振り返ってみよう。'70年、アフリカのビアフラ(現・ナイジェリア)は内戦のため食糧危機に。そこで立ち上がったのが「オールナイトニッポン」だった。
 
「飢えている子どもを救おうと、リスナーたちに『ビアフラに米を送るよう外務省にハガキを出そう』と呼びかけました。すると、学生や子どもたちから2000通ものハガキが外務省に届き、その結果、政府が5000トンの食糧援助を決定したんです」
 
'73年からは、歌手やタレントのトーク中心に路線を転換。あのねのね、泉谷しげる(69)らが登場し、『なごり雪』のヒットで知られるイルカ(66)が、リスナーの恋愛や学校などへの悩みに対して「バカヤロー」と絶叫する、「深夜のバカヤロー」コーナーなどが誕生した。人気コーナーを作ったパーソナリティには、ほかにも、笑福亭鶴光(69)やタモリ(72)、ビートたけし(70)がいる。ビートたけしを起用したのは亀渕さんだった。
 
「当時ツービートで活動していましたが、たけしさんだけに出演をオファー。村田英雄さんをネタにした『デカアタマコーナー』や『ほら吹きポール牧コーナー』、『ガッツ石松コーナー』など大御所をネタにして伝説の番組に。 ハガキ職人 と呼ばれる投稿の常連者があらわれました」
 
歌のイメージとは違った、突き抜けた明るさで人気だったのが中島みゆき(65)だ。
 
「リスナーのハガキにすべて目を通していたみゆきさんは、ラジオ愛にあふれた人。プライベートは語りませんでしたが、女性リスナーは、彼女の 素 を見いだし、聴き続けてくれました。最終回ではニッポン放送前に1000人を超すリスナーが集まり、彼女の曲を大合唱!」
 
現役アイドルとして初めてパーソナリティを務めた小泉今日子(51)は、放送後に集まった 追っかけ たちと毎週のようにカーチェイスを繰り広げ、ゆずの北川悠仁(40)は、プロレスラーになりきり、5000人のリスナーを集めて 引退試合 イベントを。そんな数々の伝説に彩られた『オールナイトニッポン』ーー。
 
現在も'94年からパーソナリティを務めるナインティナインの岡村隆史(47)や星野源(36)が、その歴史を紡いでいる。なぜ若者たちは、『オールナイトニッポン』にひかれ続けるのだろうか?
 
「メールやSNSなどがある一方で、今は 心が孤独 な人が増えた気がします。『オールナイトニッポン』では番組で呼びかけるとき、 皆さん ではなく あなた とか キミ 。パーソナリティとリスナーが1対1のコミュニケーションになるように意識しています。そんな関係を、今の人たちは、無意識に求めているのかもしれません」

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