2017/06/07 14:00

「寝た子を起こさない」性教育が招いた悲劇。思春期特有の揺れを志尊淳、栗原類ら若手が今、舞台で演じる理由

 劇場へ足を運んだ観客と出演者だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

 過激な性描写や社会風刺など、舞台でしかできない刺激的な表現の中に身を置くことは、演じ手にとって大きな成長の糧となるもの。エモーショナルさが過剰になりがちな題材であっても、生々しさは抑えて問題提起することができるパフォーマンスの場でもあります。

 思春期の、性を自覚しだしたばかりの少年少女たちが大人からの一方的な抑圧によって悲劇を迎える「春のめざめ」も、そんなパフォーマンスが目の当たりにできる作品のひとつ。5月、KAAT神奈川芸術劇場で上演されたのを皮切りに、京都、福岡、兵庫で順次上演されています。大人へと成長する体を受け止めきれない子どもたち役に、舞台経験の浅い若手俳優の志尊淳や大野いと、栗原類らが体当たりで挑んでいます。

「春のめざめ」は、ドイツの劇作家F.ヴェデギントが、自身や級友たちの経験を基に20代だった1891年に執筆。しかしその内容のセンセーショナルさが問題視され、ベルリンで初演されたのは1906年になってからで、上演中止に追い込まれることもたびたびでした。初演から100年後の2006年にはブロードウェイでミュージカル化され、トニー賞で作品賞など8部門を受賞しています。日本では2009年、劇団四季が約1年半公演。演劇ファンであっても「春のめざめ」といえばミュージカルを連想してしまうことが大半ですが、ドイツ語圏では若手俳優の登竜門と位置づけられ、毎年数多く上演されています。

いつの時代も変わらない、思春期の揺れ

 物語の舞台は、ドイツのギムナジウム(中等教育機関)。そこで学ぶ10代半ばの少年少女たちの会話は、大半が異性と自分の体の変化について。優等生のメルヒオール(志尊)は、仲のよいモーリッツ(栗原)から、精通や性的な妄想がなぜ自分に起きるのがわからず眠るのが恐いと相談され、彼の要望で「子どもをこしらえる方法」について略図入りのメモを作ってあげます。

 背がどんどん伸びてすぐに服が小さくなり、母親を苦笑させているヴェントラ(大野)は、親のいいつけどおり貧しいひとへの訪問をかかさない無邪気な14歳。姉に赤ちゃんが生まれましたが、子どもがどうやってできるのかまだ知りません。

 大人なら誰でも知っている「それ」を知らされないことへの不満と好奇心を抱くと同時に、自分も「それ」に近づいていることに対する不安で揺れ動いている少年少女の言葉を、大人は真剣にとりあいません。どうして子どもができるのかとヴェントラに聞かれた母親は「変なことを考えて!」と娘を責めて、「わたしはなにも悪くないわ!」「わたしには責任が負えないわ」「ひとりの男のひとだけを心から愛するの。わかったでしょう」と言って逃げ、メルヒオールの母親は、息子たちがファウストを読んでいるのを見て「まだあなたには無理」ととがめた直後に「もう大きいんだから、物事の善し悪しを見極めないと」と平然と矛盾を並べ立てます。

 舞台のセットは客席以外の三方がガラスのような素材で囲まれただけで、その上の中空に通路を設置。ストレートプレイですが、思春期の不安定な精神状態を表すようなコンテンポラリーな振り付けのダンスが随所に挿入され、少年たちが自慰をするたび、ガラスには粘性のある白い塗料が何度も塗りたくられます。ガラスには観客の姿がいびつに映り込み、また劇場が小規模なため、まるで自分も物語の中に取り込まれてしまったような閉塞感。

 キャストの中で断トツのうまさだったのは志尊で、技術の高さがヘブライ語で「光の君」を意味する「メルヒオール」にしっくりきていました。大野は初めこそセリフの下手さが目立ったものの、モデルとしても活動している長身さが、成人女性ではなく体の発育だけが早熟で純粋がゆえに幼い少女役に違和感がないことに驚きました。栗原は瞳に影があり、メルヒオール=光との対比でギリシャ語で「黒」を意味する単語からくるモーリッツと、技術を超えたところで一致していたことに目を奪われました。

 メルヒオールは、牧場の干し草の陰で自慰をしているところへ通りがかったヴェントラを強姦します。ギムナジウムの過酷な教育課程についていけない劣等生のモーリッツは、進級ができず、親の期待に沿えないプレッシャーに押しつぶされ、最期に存分に自慰をして満足し自死。メルヒオールはモーリッツの死因は彼が渡したメモのせいだと教師たちから一方的に断罪され、“罪”を犯した子どもたちを強制するための施設、感化院へ送られます。

 ヴェントラは妊娠していました。自分の身に何が起きたかわからない娘に対し、ちゃんと教えればよかったと責め嘆く母親の手による人工中絶の失敗で、彼女は死亡。感化院から脱走したメルヒオールがそれを知り後悔にくれているところへ、モーリッツの幽霊が現れます。

 「思春期には二次性徴が起きる」「子どもを作るためにはセックスをする」ということを認識する時期はひとによってさまざまですが、最初に見聞きするのは早熟な友人から、というパターンは、初演から100年経った現代の日本でも、いちばん多いのではないでしょうか。学校でもうけられた性教育のカリキュラムで、本当に大事なことを伝えきれているのかは、messyでもときどき話題になるところ。

子どもも大人も、戸惑い悩んでいる

 人生においてとても大切で、生きていく上での大きな喜びの礎(いしずえ)になることのはずなのに、オトナは「そのうちわかる」と、寝た子を起こさない方向へ流れがちで、たしかに自分を顧みてもいつどうやって知ったのか、もうあやふやです。

「春のめざめ」には、「子どもたちの悲劇」という副題が添えられています。性的な悩みの描写にどうしても焦点があてられてしまうのですが、同時に少年少女たちの将来への夢や不安、勉強や親への悩み、自我との葛藤など、誰もが直面したことがあるであろう普遍的な問題も描き込まれています。

 作品が書かれた時代背景を考慮しても、親も決して子どもを苦しめたいわけではないはず。 “立派な”人間へと育てることが、子どもの将来の幸せにつながると信じているし、まだしばらく“コドモ”のままでいてほしい、という気持ちもあるのでしょうが、子どもは成長するもの。そして健やかな成長のためには、正しい知識や情報は不可欠です。

 演出は、KAATの芸術監督も務める白井晃。今は人気俳優の小栗旬が、俳優としての基礎を教えてもらったと公言し大きな信頼を寄せる名演出家です。正直にいうと、今さらこんな若手を起用して? とも感じたのですが、若い俳優たちへ向ける白井の視線は、劇中の子どもたちを見守る親たちの目ともオーバーラップされていたのでは。

 くしくも、同劇場の隣のホールでは、ミュージカル版を公演していた劇団四季が「オペラ座の怪人」を上演中。ちなみにミュージカル版では、メルヒオールとヴェントラは惹かれあって結ばれたように演出されており、原作より救いのある物語になっています。

 キリスト教信仰を基にした難解なセリフも多い、むずかしい戯曲に挑戦した“子どもたち”の幸せな将来を祈るとともに、「頑張ったで賞」をあげたくなる。そんな公演でした。

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