2017/09/27 14:00

満島ひかりの業、柄本佑がもたらす混乱。芥川4作品をモザイク状に散りばめて構成した舞台「羅生門」の世界

 劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

 ファンタジーのような目に見えない存在や明言されない感情を描くことは、写実性を提示することが可能な映像作品のほうが向いていると思われがちですが、現実と虚構の境目があいまいな世界観の描写こそ、舞台の真骨頂でもあります。同一のイメージを多数が共有できることが映像作品の魅力であるならば、自分の受けた印象や余韻を大切に抱えていられるのが舞台、ともいえるかもしれません。その楽しみ方は、読書に近いともいえるでしょう。

 いまでも熱狂的ファンが多い芥川龍之介の作品を基にした舞台「羅生門」は、まさにそんな楽しみ方にぴったりの作品。『羅生門』『藪の中』『鼻』『蜘蛛の糸』の要素がモザイクアートのように散りばめられ、芥川賞の対象作のような高い純文学性とエンターテインメント要素が両立されていました。

 “百鬼オペラ”を銘打った「羅生門」は、イスラエルを拠点に世界のコンテンポラリーダンスシーンで活躍しているクリエーターの、インバル・ピントとアブシャロム・ポラックが演出し、劇団「てがみ座」を主宰する長田育恵が脚本。芥川の代表作4作と芥川自身の人生を投影し、『羅生門』の下人と『藪の中』の多襄丸(たじょうまる)にあたる主人公を柄本佑、同じく『羅生門』で髪を抜かれる死んだ女と『藪の中』の真砂にあたる女性を満島ひかりが演じています。

 いつとも知れぬ時代、嵐のなかを羅生門にやってきた下人は、死人の女の髪の抜く老婆(銀粉蝶)に遭遇しその行為をとがめます。老婆が逃げると死んだ女が起き上がり「変わらないね」と下人に告げ、彼は女から逃げるように、自分の記憶を探す旅に出ます。

誰が真実を語っているのか

 時代設定は原作の平安時代ではなく、衣裳は洋装で、羅生門のセットも作りは簡素です。大道具は数こそ多いものの、プロセニアムアーチ(テレビのフレームのように舞台前面を額縁のように装飾する機構)の柄とともにファンシーで毒のある造形をしている以外はシンプル。舞台を彩るのはアンサンブルのダンサーたちで、時にはキノコやランプの妖精に扮し、コンテンポラリーな振り付けで、まるで絵本の世界に迷い込んだような美しさでした。

 柄本は、文語体のセリフのささやくような小声の早口でも声がよく通り、なにより声がとてもさわやか。陰欝ではなくまだ青さの残る青年ぶりが、ファンシーな世界観ともはまっていたのが驚きでした。

 旅の中で下人は、鼻に劣等感を抱く内供(田口浩正)やその小姓(小松和重)などさまざまな人に出会います。そのうちの3人連れの旅人は、殺人事件に出くわしていました。武士の武弘(吉沢亮)とその妻・真砂の夫婦が、盗賊の多襄丸により真砂が強姦され行方不明になり、武弘が殺された事件を目撃した旅人たちの証言は三者三様で、その話を聞くうちに下人の意識は多襄丸と同化し、悪夢に飲み込まれていきます。

 真砂役の満島ひかりは、夫の前での多襄丸の蛮行に抵抗する声が可憐で、さすがの透明感! ……なのですが、強姦されたあとの赤いドレス姿は乱れ背中を露出した姿なのに色気は皆無で、心身を蹂躙された哀しみも、まったく感じられないのです。

 旅人たちが語る事件の真相は食い違っており、ひとりは真砂が「ふたりが決闘して勝った方のものになる」と多襄丸をけしかけて夫を殺したといい、もうひとりは自身の命のために自分の貞操を差し出した夫に絶望したと語ります。三人目は、自分の恥を見てしまった武弘へ心中を迫った、と話し、真相はまさに“藪の中”。

 真砂が何を考えているのか理解も共感もできないのは、何が事件の真実なのかが明示されないゆえであり、人形のように感情も色気も汲み取れない役作りへの結実は、満島がクレバーな女優である証といえるかもしれません。多襄丸のサイコパス感が下人の好青年ぶりと好対照で、同じく理解不能だった柄本の演技とともにアタマがこんがらがってくる感じも、物語にのめり込んでしまうポイントでした。

 悪夢の中で下人は地獄の底の血の池にたどり着き、亡母に再会します。下人を育てるために罪を犯して地獄に落ちた母親は、哀しみつつも真砂を追って去ろうとする息子を「こんなに愛しているのに。お前に捨てられたらきっと気が狂う」と狂乱して追いかけ、下人は真砂が垂らした蜘蛛の糸にすがって逃げようとします。しかし、その糸をつかんだのは、武弘でした。

 母役は、冒頭の羅生門の老婆と同じ銀粉蝶。もしかしたら老婆も、自分が生きるためといいながらそれは大切な誰かのために自分の生存も必要だったからかもしれない、と感じさせる配役の妙で、生きるということはひとそれぞれが蜘蛛の糸にからめられたように思い通りにならないものだと暗示するようでした。

満島ひかりの鼻息の荒さ

 下人が羅生門で見た女は、かつて市場で出会い、救いたいと思っていた女でした。その女は生きるために罪を犯すこともいとわず、魚だといつわって蛇の干物を売るために包丁をふるいます。

 外国の演出家が日本の文学作品を演出するときにがっかりさせられることが多いのが、オリエンタリズムへの過剰な幻想や傾倒です。日本人の目から見ると、ズレているし押しつけがましいしで、その演出家の起用自体に疑問を抱いてしまうものなのですが、「羅生門」にはそのストレスがなく、コンテンポラリーダンスとの融合でより芸術性の高さを引き出すことに成功していました。“オペラ”を掲げるように、作中ではダンスだけでなく歌も数多く盛り込まれています。歌手活動経験のある満島の歌は確かにうまいのですが、彼女がいちばん輝いていたのは、力任せに包丁をたたきつける場面でした。

 その迫力は、生きるために必死な女の、炎のように苛烈な気性だけでなく、出演作に芸術性の高さを志向する満島の鼻息の荒さも表れているようであり、本作のヒロインを演じることの満足感のようでもあり。隠しきれない女優の“業”が、垣間見えたような気がします。

 作中の内供のセリフに「炎をうちに抱えていくのは楽ではないわ」と、ありました。一般人には持て余してしまう身の内の炎も、才能ある役者やクリエーターには原動力であるもの。その炎がどこまで燃え続けるのか、どんな明かりを放つのかと、楽しみにしたいものです。



 

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