2019/02/11 12:00

母は子どもにとって、〇〇のような存在であれ!

先日、息子の小学校で、二分の一成人式がありました。

二分の一成人式は、今でこそかなりポピュラーな学校行事であり、またそれゆえに賛否両論あるものでもありますが、どうやら20年くらい前に、西日本の学校の先生が始められたのが最初なのだとか。

式の形態にはいろいろあって、
・10歳になった子どもたちが、将来の夢、これまでの生活の振り返り、先生や友人、親への感謝などをつづった手紙を朗読するという一般的なスタイル。
・手紙や作文の朗読ではなく、講師を招いて誕生学や性教育などの講義を行うというもの。
など、学校や地域によって、さまざまなイベントスタイルがあるようです。
(もちろん、そもそもおこなっていない学校もあると思います。)

10歳の子どもたちは、親御さんのスピーチに照れてもじもじしたり、思い出を話しながら思わず感極まって泣いてしまったり・・・。
子どもらしさもありながら、少し思春期の入り口に立っているような、そんな微妙な年齢の彼らを見ながら、思ったことがあります。

母は子どもの充電器であればいい

我が子に限ったことなのかもしれませんが、うちの10歳は、男の子ということもあり、まだ、ママ大好き!なお年頃です。

そんな彼が、
・学校から疲れて帰って来た日
・学校で何か心配ごとや嫌なことがあった日
にすることがあります。

それは、宿題をする合間や、寝る前などのちょっとした時間に、「ママにくっつくこと」。

控えめに、でもしっかりと、ぴと!っとくっついてきて、数分すると離れていきます。

その間、私はただ、息子の頭を撫でたり、背中をさすったり、ギュッと抱きしめたりするだけ。
場合によっては、本当に何もせず、ただ避けずに一緒にくっついているだけ、というときもあります。

息子曰く、「LOVEの補充をしている」のだそうです。

そうやって考えてみると、母親というのは、子どもにとって、充電器のような存在なのかもしれません。

日々の生活の中で、
ちょっと頑張らないといけない時。
ちょっと心がすり減ってしまった時。
時間や体力がなくて、もうひと踏ん張りできない時。

子どもは、母のぬくもりや、優しさ、何も言わずにそこに「ある」ことを求めているような気がします。

黙ってみまもっていると、自分でしっかり判断して、また日常生活や、友人関係や、日々のあれこれに戻っていく。

親であれば、子どもの体調や日々の生活、進路や将来、いろいろなことが心配であるのは当然です。

けれど、子どもには子どもの、生きる力、踏ん張る体力、周りを見通す目があります。

二分の一成人式は、自分の子どもの、「生まれ持った力」「底力」を信じて、ちょっとしたときにオアシスになれるような、そんな親でありたいな、と思った、節目の行事でした。

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