2017/07/11 16:00

関ヶ原の戦い 小早川秀秋は開戦と同時に裏切っていた

関ヶ原の戦いはドラマチックなものではなかった?
関ヶ原の戦いはドラマチックなものではなかった?

 どんなに歴史に疎い人でも、1600年の「関ヶ原の合戦」は知っているだろう。「天下分け目の」という形容詞で呼ばれる関ヶ原の戦いは、歴史小説や大河ドラマでも大事なシーンだが、どうやら真実はあまりドラマチックではなかったようだ。

 1600年、豊臣秀吉亡き後に東軍・徳川家康と西軍・石田三成が天下を分けて戦った「関ヶ原の合戦」は、西軍10万と東軍7万がぶつかった大合戦として、知られている。陣形としては西軍が相手を囲い込む「鶴翼の陣」を敷き、必勝の布陣と思われたが、西軍・小早川秀秋が秘かに家康と通じていた。

 ただ、小早川はなかなか「裏切り」を決断しない。業を煮やした家康が小早川の陣に脅しの鉄砲(いわゆる「問い鉄砲」)を放って催促。すると小早川が西軍を急襲、戦いは一気に決着へ──徳川勢と豊臣勢の狭間で、一人の“小心者”が歴史を変えたというあまりに有名なエピソードだ。だが、近年の研究では天下分け目の合戦の経過は全く違ったものと考えられているという。別府大学文学部史学・文化財学科教授の白峰旬氏がいう。

今日の運勢

おひつじ座

全体運

精神的に落ち着いて過ごせる日。父親に感謝の気持ちをあらわす...もっと見る >