2019/02/02 07:00

江藤淳の遺言に今、耳を傾けよ 「人が死ぬ如く国も滅ぶ」

江藤淳氏は戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった(時事通信フォト)
江藤淳氏は戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった(時事通信フォト)

 江藤淳が自死してから20年になる。戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった氏は、戦後の民主主義の欺瞞と閉された言語空間を批判した。氏の言葉は今日の日本に至要な訓戒として響いている。文芸評論家の富岡幸一郎氏が、改めて江藤の“遺言”の意味を解説する。

 * * *
 江藤淳が亡くなって、本年で二十年の歳月が経つ。没後十年の平成二十一年、本誌で特集を組み筆者も原稿を寄せたが、その文章の冒頭に次のように書いた。「もしあの人物が健在であれば、日本と世界の情勢についてどんな発言をしてくれるのだろうか、と期待せずにはおられない論客、それが江藤淳にほかならない」と。

 平成の世の終焉に際し思い起こすのは、三十年前、昭和天皇の崩御と平成改元の直後に筆者がインタビューしたときの江藤淳の言葉である。「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」。

 平成六年には『日本よ、亡びるのか』という表題の本も刊行しているが、今日の日本の現状を見れば、“亡国”という不吉な言葉がにわかにリアリティーを帯びてくるのである。外国人(移民)労働者の受け入れ拡大は労働力の問題である以上に、国のかたちを変えるものであるが、政府・与党はただ法案成立を急ぎ、憲法改正という国家の基盤的問題はまた先送りされつつある。

 米中の新冷戦時代に突入しながら改憲や国防の課題を、政府も国民も他人事めいたことにしている。江藤淳は、竹下・宇野・海部・宮沢、そして細川内閣辞任へとめまぐるしく交代する政治のありさまを「百鬼夜行の平成政治」と批判し、「平成日本はいつ滅びるかわからない。ますます滅びそうだと思っている」といったが、民主党政権の三年余で文字通り亡国の淵にまでいった日本は、安倍晋三の再登場によって“一強”政治などと称されながらも、その内実たるや新自由主義の妖怪を跋扈させるばかりであった。

 江藤淳がもし健在であれば、言下に日本は「ますます滅び」つつあると断ずるであろう。なぜなら、江藤淳がその後半生を賭して探究した「戦後史」の呪縛から日本人は七十有余年も経ても、少しも脱却できていない、いやむしろ自ら進んでアメリカという超大国への幻想的依存を深めることで、真に自立した国家としての道を歩むことを放棄する、自己欺瞞に陥ってきたからである。

◆萎縮する「日本の言語空間」

 江藤淳は昭和五十三年を起点に米国の占領政策の実態を一次資料から改めてさぐり、戦後の日本人が「閉された言語空間」に置かれてきたことをあきらかにした。GHQによる検閲や戦後憲法の制定のプロセスなどの歴史的な検証がその仕事の中心となっていたが、重要なのはそれは決して過去の歴史研究ではなく、今ここに現前している日本と日本人の「自由」と「生存」の根本的な問題として在り続けていることだ。

『閉された言語空間』(平成元年)で江藤淳は占領下における米国の検閲が「眼に見えない戦争」すなわち日本の「文化」と「思想」にたいする殲滅戦であり、占領が終了した後も現在に至るまで、日本人がこの戦後「体制」を改めようとせずにきた事実を鋭く指摘した。

 なぜ、改めようとしないのか。それはこの「体制」によって「利得の構造」を保持してきた政治・教育・文化の“戦後利得者”たちが、今日に至るまでマスコミ、ジャーナリズムの主流を占めてきたからである。

 この構造は保守派であろうが左翼リベラルであろうが、体制側であろうが反体制側であろうが同じである。冷戦構造が崩壊して三十年を経てもそれは全く変わっていない。いや、むしろ江藤淳が当時厳しく糾弾した「日本を日本ではない国」にすることで利益をむさぼっている“利得者”たちは、グローバリズムと新自由主義政策の拡大のなかで、新たな「階級」として白蟻のように増殖し、日本社会のその骨格を蝕んでいる。

 自由貿易の名のもとに国内の産業を破壊しつくし、アベノミクスは脱デフレを標榜しながら国内の賃金低下をもたらし、あげくの果てに欧州ではすでに惨憺たる結果となった「移民」労働力の受け入れを急ごうとする。

 戦後レジームにおいて左右の政治勢力として対立してきた“利得者”たちは、イデオロギーの仮面を?いで、経済効率主義の名目のもとに、今この国の破壊にいそしんでいるのだ。江藤淳は『閉された言語空間』においてこう指摘した。

「(占領軍による徹底した検閲は)言葉のパラダイムの逆転であり、そのことをもってするアイデンティティの破壊である。以後四年間にわたるCCD(占領軍民間検閲支隊)の検閲が一貫して意図したのは、まさにこのことにほかならなかった。それは、換言すれば「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった」

「日本」は今やまさにグローバル企業に席巻される「一地域」に変貌しようとしている。それは日本人が「日本人以外」の「何者か」になりつつあるからだが、その淵源は戦後のわれわれが日本人の「歴史」と「文化」と「思想」に根ざした言語空間を喪失しつづけてきたからに他ならない。

 GHQによる占領下の検閲の延長に、自己検閲の罠から脱却することもせず、むしろそこに従属し安住することで、アメリカニズムを「自由」「平和」「民主主義」と言い換えてきたからである。

 江藤淳はCCDの言論検閲が戦後日本の言語空間を拘束しつづけ、そこから日本人の「歴史への信頼」の「内部崩壊」が地滑り的に起こり、深刻化していることを詳細に指摘したが、今日のニッポン語「コンプライアンス」「……ハラスメント」「LGBT」etc.を見るまでもなく、日本語は刻々と萎縮しつづけて止むことがないのである。対米従属は政治・外交上の問題、さらには国防の問題というよりは、その核心にあるのはむしろ言語・日本語という文化的根源の危機なのではないか。

「今日の日本に、あるいは“平和”もあり、“民主主義”も“国民主権”もあるといってもいいのかも知れない。しかし、今日の日本に、“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に、“自由”はあり得ないからである」(『閉された言語空間』)

◆亡国での皇統持続とは何か

 平成元年二月十六日に江藤淳に長時間のインタビューをした。筆者とそれ以前に行なった二回の対談とともに『離脱と回帰と昭和文学の時空間』という対談集としてまとめた。

 そこで江藤淳が昭和天皇への深い敬愛と、天皇という存在が世俗的空間をこえた聖なるものであることをとりわけ強調していたことが、今も印象に残っている。崩御の日、皇居前に集い記帳した多くの日本人の姿は、「天皇制」などというコミンテルンの用語(戦後は占領軍当局が共産党のこの用語をそのまま採用し広めた)ではなく、日本文化の本質たる皇統の顕現、昭和帝が天皇として戦前・戦後を生きられたことを何よりも物語っていると江藤淳は指摘した。そして皇統が維持されてきたことの重要さを次のように語った。

「僕は百二十五代、皇統が続いているということの意味で、大嘗祭もあまり形式的に考える必要はないという意見なんです。もちろん大嘗祭は、日本がこれだけの繁栄に浴している時代に、皇位継承に伴う諸行事が滞りなく行われない理由は何もないから、当然行われるでしょう。

 それで名実ともに新帝は即位されて、皇統を持続されるだろうと思いますけれどね。過去に皇統が持続してきた間に、大嘗祭が行われなかった例もあります。そうであってもなおかつ皇統は持続してきている。(中略)皇室を廃するということを、日本人は一度もしなかった。(中略)この歴史的事実をわれわれは心の支えにしていくほかないと思うのです」

 江藤淳には『昭和の文人』という名著があり、昭和天皇の崩御の折に「字余りのお歌」という一文で、「我ハ先帝ノ遺臣ニシテ新朝ノ逸民」という言葉も記していた。自らも昭和という時代と人生を共にしてきたとの感慨であろう。昭和が終わり平成となり、その平成の三十年も今終わろうとしている。皇統の歴史も新たな時代をむかえる。

 しかし「日本」が「日本ではない国」となれば、そもそも皇統の持続とは何か。江藤淳が警鐘を鳴らしたように、日本人が自らの歴史と伝統を語りうる言葉を回復しないかぎり、主体的な自由な言語空間を取り戻さなければ、日本と日本人は真に自立しえないであろう。それどころか、遠からずして亡国もありうるのである。

【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京都生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。著書に『虚妄の「戦後」』(論創社)、『西部邁 日本人への警告』(共著、イースト・プレス)などがある。

※SAPIO2019年1・2月号



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