2019/02/12 07:00

平穏はないし、みじめさもない、「老いを受け入れる」小説

 一九三二年生まれの黒井千次の新作『流砂』は老いを描いている。この小説にも、老いの平穏はないし、といって老いのみじめさもない。ごく自然なこととして老いを受け入れる落着きがある。

 語り手は「息子」。七十代になる。東京都外と思われる住宅地に妻と住む。子供は家庭を持っている。孫がいる。「息子」と同じ敷地内には、九十代になる「父」と「母」が暮している。老いの家族である。

 老人には未来はない。過去が大事になる。どんな人生を生きてきたのか。年を重ねるほど老人にとって過去が重要になる。

「息子」は「父」の過去を知りたくなる。「父」は検事をしていた。戦前、「思想検事」と呼ばれる、「思想犯」を取調べる仕事をしていた。「息子」はそのことを最近になって知った。戦前、思想、言論の自由がなかった時代に、父は「思想犯」を取締った。戦後の民主主義の時代に育った「息子」にとって父の過去は名誉あるものではない。

 それでも、「思想検事」として「父」は何をしたか知りたい。老いた「父」と「息子」。それぞれにとって、未来よりも、それぞれが生きてきた過去が大事になるのだから。

「父」の老いと「息子」の老いが次第に接近、対立、ときに融和してゆく。親子二代の老いを描く小説というのは珍しい。高齢化社会ならではだろうか。

「息子」は「思想検事」だった「父」をただ責めようとしているのではない。「父」が生きた戦前という時代を考えようとしている。たまたま知り合った老女性が、自分と同じように「思想検事」を父に持っていたことを知って親近感を覚える。

 平成が終わろうとしているいま、戦前は遠い過去になろうとしている。「思想検事」という言葉も歴史のなかで消えようとしている。

 思想弾圧があった。転向があった。戦後の民主化があった。激動の時代を生きた「父」がいま舞台を去ろうとしている。その父の時代を知っている「息子」も老いてゆく。自分の子や孫はもう「疎開」も「国民学校」も知らない。まして「思想検事」がなんたるかも知らないだろう。

 戦争が終って七十年以上になる。戦後に生まれた世代も、もうじき七十五歳、後期高齢者になろうとしている。

 過去は老いの身から見れば、まるで夢、幻影、まぼろしではないのか。『流砂』という書名が、そう考えると重い。

◆文/川本三郎(評論家)

※SAPIO2019年1・2月号

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