2019/01/26 11:15

"都立進学校"がこの30年で激変したワケ

当時も私立の麻布高校や開成高校などの有名校は存在したものの、これらの都立高校は東京教育大学(現在の筑波大学)付属高校、同駒場高校、東京学芸大学付属高校などとともに優秀な学生を独占していたのである。

学校群制度で「都立ガリバー」校が凋落

その後都立高校は、新しい入学者選抜方式として、1969年に学校群制度を導入。このとき同時に学区制を採用したことで、ほとんどの都立高校で学区外の学校の受験が認められなくなった。

当時の東京都の小尾乕雄教育長が唱えたのは「富士山よりも八ヶ岳」。学校間の格差を減らし、いろいろな学区で複数の優秀な学校を作ろうとしたのである。

しかし教育長の思惑とは別に結果として、日比谷や西といった都立のガリバー校は凋落。残念ながら都立高校はかなり低い八ヶ岳になってしまった。その一方で、都内それぞれのエリアとそのエリアの中心となる進学校の位置づけを明確にすることにつながっていった。

なお麹町中学校を卒業した私が進学先に選んだのが、当時家があった練馬区が所属する第3学区第32群の進学校である西高校。

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