2018/03/18 17:00

もし家族が認知症になったら〜忘れてはいけない3つのこと

もし家族が認知症になったら〜忘れてはいけない3つのこと
もし家族が認知症になったら〜忘れてはいけない3つのこと

早期診断・早期治療も大事だが・・・

今回は、私が受けた相談の中から、認知症について考えてみたいと思います。

40代の薬剤師(男性)です。
郊外で夫婦二人暮らしをしている母の物忘れが最近ひどくなってきていて困っています。
本人は医者嫌いで、逆に医者に行かないことを自慢するくらい身体的には元気です。
身体が元気なだけに、今後認知症が進行した場合、徘徊したり暴力的になったりすることを心配しています。高齢の父はその介護負担に耐えられないと思います。
今のうちから抗認知症薬で認知症の進行を抑えないと…と焦るのですが、本人には全く自覚がなく、医者嫌いなので診断も治療もできていない状態です。
こんなとき、どんなアプローチをすれば早期診断・早期治療に持ち込めるのでしょうか。

 

こうした悩みをもつ方は少なくないと思います。上記の方は、ご自身が薬剤師さんだからこそ、早期診断・早期治療の重要性をよく知ってるのでしょう。確かに、早期診断・早期治療は認知症にとってとても大事です。厚生労働省もその重要性についての理解を進めようとしています(「認知症の診断・治療(http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/a03.html)」)。

もし皆さんがこの薬剤師さんの立場だったら、どんなことを目標にしたいでしょうか? 「認知症の進行をできる限り遅らせる」と思う方が多いのではないかと思います。それは、医療の立場から見れば100点だと言えるでしょう。ただ、医療的正解とは別に「患者さん一人一人にそれぞれの正解」もあるのではないでしょうか。

このことについて、以下の3つの視点から、私の考えをお伝えしたいと思います。

「医学的正解」が必ずしも「本人の正解」とは限らない

 だからこそ「最期まで笑って楽しく暮らせる」ことを目標に

「ご本人の思い」に耳を傾ける

「医療の正解」が必ずしも「本人の正解」とは限らない

認知症を「病気」という側面で捉えれば、その治癒、もしくは進行を遅らせるという方針は間違いなく正解です。ただ、もし皆さんが今、医師から「あなたは認知症ですよ」と言われたら、どう感じるでしょう? 家族のこと、仕事のことなどを考えて、かなり落ち込むのではないでしょうか。

今回の相談のお母さんも多分同じではないかと思います。特に、今まで医者いらずで、元気な人です。いきなり知らない病院に連れて行かれて、血液検査や脳のMRIなどで身体中すみずみまで検査される・・・。

そのうえ初めて会う医者に「あなたは認知症だから早く薬を飲みなさい」と言われて薬を飲まされたら、それこそ絶望的になって、うつ病になってしまうかもしれません。

こういう例は、実はめずらしくありません。医療的な正解はとても大事なことですが、一心不乱にそれだけを考えていると、なにかチグハグなことになってしまいかねないのです。

では、どうするか。まず方針設定ですが、この場合、「進行をできる限り遅らせる」ということはいったん置いておいて、「お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる」というようなイメージを持つとしたらどうでしょう。

そんな漠然とした・・・と思われるかもしれません。ただ、ここを目指すと、結構やることが明確になってくるのです。

「最期まで笑って楽しく暮らせる」ことを目標に

たとえば、先ほど挙げた悪いパターン、絶望してうつ病にまでなるパターンですが、なぜそうなってしまうのでしょうか。

「医療の正解」にこだわるあまり、なにより重要な「ご本人の思い」がないがしろにされてしまったということはないでしょうか。実は、こうして「ご本人の思い」より「医療・介護から見た正解」が優先されてしまうことは、医療の現場、特に高齢者医療や認知症医療では決して少なくないのです。

「本人の思い」に耳を傾ける

これは3つの視点の中でも大切な部分ですので、もう一つ、ほかの事例を見てみましょう。

ある高齢で寝たきりの女性。声帯が炎症を起こし、「気管切開しないと、いつ窒息するかわからない」と耳鼻科の先生から言われました。ご家族・看護師さんは、落胆しながらもその運命を受け止め、心の準備と、気管切開に向けての算段をしていました。

しかし、気管切開という医療技術は、その方の老化の過程を逆回ししてピシャっと元気にしてくれるものではなく、あくまでも空気の通り道を確保するだけの技術です。声を失い、苦痛を伴うこともある、でもそれをすれば救命できる命もある、というものです。

この時、私はご本人に「ノドに穴を開けるのはどう思う?」と尋ねました。すると、その患者さんは、今にも泣きそうになりながら「イヤ」と。「死ぬかもしれないけど・・それでもいいの?」と聞くと「それでもいい」とカタコトながらおっしゃいました。

どうやら、気管切開のこともそうですが、自分の意見も言えずに治療方針が決まっていきそうな、その状況自体もとても怖かったようです。

そんな風に本人の思いを聞いていたら、救える命も救えないのではないか? そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。それをすれば救命できるかもしれない、でも本人は本心からそれを望んでいない・・・こんな時、医療従事者はどうすればいいのでしょうか。

間違いなく様々な意見があるでしょう。ただ、正解があるわけではないのです。仮に医療的な正解はあったとしても、患者さんの人生の正解は千差万別。患者さん一人一人の思いが正解なのかもしれません。

結局この時は、この患者さんの思いをできるだけ尊重して、気管切開をしないでギリギリまで様子を見ようということになりました。そうしたら患者さん、ケロッと良くなって、その後、口から食事もできるくらい回復されています。

この場合は結果オーライで良かったのですが、運が悪ければそのまま窒息して亡くなったかもしれません。だからと言って「本人の思い」に耳を傾けなくていい、ということではないと思います。

個人的には、自分の命の顛末を自分で決定したいと思う人の意見は尊重されてもいいのではないか、そんな患者さんの意見も含めて、みんなでしっかりと「悩む」ことが大事なのではないか、そう思います。

「医療的な正解を行うこと」は本人のためになるのか

ご高齢の方が多くかかる疾患、脳梗塞、認知症、心筋梗塞、がん・・・。どれもこれも、盲腸の手術のように1週間で治るような病気ではありません。治療法はないけれど、管を入れてとりあえず命をつなぐだけの対処法はあるとか、治療法は一応あるけれど、やはり徐々に進行していくとか。ご高齢の方々は、治らない病気を一つ一つ得ながら、緩やかに坂を降りていかれるのです。

確かに現代の医療の恩恵は絶大で、我々は多いに感謝しなければいけません。ですが、その方法論、「盲腸→有無を言わさず手術!」というような、医学的正解=完治=正義という図式を高齢者の医療に当てはめてしまうと、つまり治らない病気を治そう!治そう!と最期まで頑張ってしまうと、最終的にはみんな管だらけで寝たきり、ということにもなりかねません。

もし、医療的正解=完治=正義という図式が成り立たないのであれば、「私はノドを開けて管を入れて長生きするよりも、たとえ命が短くなってもいいから最期までおしゃべりをしたい」とか、「俺は、おなかの胃ろうの管からでなく、鼻のチューブからでなく、最期まで口から食べたい」という方がいても、それはそれで尊重されるべきだと思うのです。

その「患者さんの思い」に耳を傾ける努力をせずに、「医療的な正解を行うことが本人のため」と考えてしまうのは、もしかしたら医療従事者の思いあがりなのかもしれません。たとえ、それが医学的には「正解」であってもです。

筆者の著書『破綻からの奇跡〜いま夕張市民から学ぶこと〜(https://www.amazon.co.jp/%E7%A0%B4%E7%B6%BB%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B9%9F-%E3%80%9C%E3%81%84%E3%81%BE%E5%A4%95%E5%BC%B5%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%9C-%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%83%BB%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%81%AE%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA1-%E6%A3%AE%E7%94%B0-%E6%B4%8B%E4%B9%8B/dp/4990856503)』

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財政破綻・医療崩壊した夕張市からは、高齢者のケアについても学ぶことが多い

認知症の治療薬でも最近は成績のいい薬が出てきましたが、それでも今後、認知症高齢者は700万人〜800万人にまで増えると言われています。結局、それなりに進行を遅らせる薬はあるけれど、今のところ完治可能な特効薬はないということです。決定的な治療法がないのなら、だからこそ「本人の思い」に耳を傾けようということを考えてもいいのではないでしょうか。

「本人の思い」が大切なのは、気管切開のような終末期だけの話でなく、認知症の早期の段階でも同じです。早くから施設に入ってそこで友達を作りたい人もいれば、やっぱり最期まで自宅がいいという人もいます。

ついつい家族が調べて選んだ施設に、周囲の状況を固められて反対もできずに入居、という場合もあるでしょう。ただ、同じ鍵のかかった施設でも、自分で進んで入ったのと、知らないうちに入ることになっていたのでは、ご本人にとっては雲泥の差です。後者は、えてしてその後、大変なことになることも少なくありません。

そうではなく、たとえば最終目標の「お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる」というところを目指せば、そのためにはどんな環境が望ましいのか、どんな人たちの助けが必要なのか、地域にどんな医療・介護資源があるのかを調べることになっていくでしょう。

また、「医療の正解」が必ずしも「本人の正解」とは限らないと考えれば、今後出会うかかりつけの先生がどのような考えで診療してくれているのか知るために、一緒に外来受診に付き添うことにもなるでしょう。

さらに、「お母さんの思いが大事」と思えれば、そうした過程の中で「お母さんの思い」をたくさん聞く機会が持てるかもしれません。もちろん、「お母さんの思い」と重なるのであれば、早期発見・早期治療も大事です。

しかし、あくまでもそれは「お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる」ための手段であり、そこを目的と考えてしまうのは本末転倒なのではないでしょうか。そのちょっとした思い違いを繰り返していると、最終的に「ご本人が望んでいない」にも関わらず「医療の正解」が優先されてしまい、体にいろいろな管が入っていくということにもなりかねないのです。

ですから、最初に挙げた3つの点を考えながら、長い時間をかけてご本人と一緒に歩んでいくこと、共に悩んでいくこと、そこが大事なことなのではないかと思います。

「医学的正解」が必ずしも「本人の正解」とは限らない

 だからこそ「最期まで笑って楽しく暮らせる」ことを目標に

「ご本人の思い」に耳を傾ける

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