2018/10/30 12:00

ネルソン・マンデラ生誕100年に沸く 南アフリカで偉人の足跡をたどる

 世界を旅する女性トラベルライターが、これまでデジカメのメモリーの奥に眠らせたままだった小ネタをお蔵出しするのがこのコラム。敏腕の4人が、交替で登板します。

 第194回は、芹澤和美さんがノーベル平和賞を受賞したあの偉人の歩みを確かめます。


「自由への長い道」の始まりは
ヨハネスブルグ


「マディバ」。南アフリカでは、子どもから大人まで、ネルソン・マンデラのことを親しみをこめてそう呼ぶ。

 ここ数年、南アフリカ共和国にすっかり魅了されている私にとって、2018年は特別な年。なぜなら、この国の英雄、ネルソン・マンデラの生誕100年を数える記念すべき年だからだ。

 40年以上も続いたアパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃するために戦い、勝利を勝ちとった後も私欲を追求しなかったマンデラのストーリーは、誰もが知るところ。私も、映画にもなった自叙伝『自由への長い道』を読んで、何度励まされ、涙したことか。


ヨハネスブルグのショッピングモール「ネルソン・マンデラ・スクエア」の巨大像は大人気の記念撮影スポット。

 彼がこの国初の民主的な選挙で大統領に選ばれた1994年以来、南アフリカは新しい道を歩み始めた。2013年12月に95年の生涯を閉じた後も、マンデラは人々の心の中に生き続けている。

 多民族、そして広大な国を導く政治的な手腕も、その心の広さも、知れば知るほど好きになるマンデラ。個人的には、3度の結婚(なんと3度目は80歳!)をしたことにも、人間味を感じて、親しみを覚えている。


弁護士、そしてアマチュアボクサーでもあったマンデラ。彼が弁護士として勤めた建物「チャンセラー・ハウス」の前には、ボクサー姿のマンデラを象った巨大アートが。

 2018年の夏、そんな私に舞い込んだのが、マンデラゆかりの地を訪ねるというスペシャルな旅のチャンス。香港から飛行機で約13時間。時間はかかるけれど、これは行くしかない! 国内線を乗り継いで田舎から都会まで、ひたすらマンデラを追う10日間の旅に出た。


ヨハネスブルグの「マンデラ基金記念館」には、生誕100年を記念して、彼が引退後に使用していた執務室の特別展示が。

 まずは経済の中心都市、ヨハネスブルグへ。反アパルトヘイトを掲げて国と真っ向から対立していたマンデラと仲間は、この街で地下活動を行っていた。

 彼の人生をダイジェスト的に紹介しているのが、「マンデラ基金記念館」。生前に使っていた執務室も公開され、写真を使った展示室では、まるでドキュメンタリー映画を観ているかのように、彼の足跡をたどることができる。


マンデラと仲間が1961年から秘密裏に政府転覆計画を練っていた農園。支援する白人が1カ月100ランド(約780円)と格安で貸していたのだそう。農場は現在、博物館として公開されている。

 郊外にある「リリーズリーフ農園」は、一見するとのどかな田舎の農場だが、彼らの秘密基地だった場所。ここで労働者を装いながら、密かに会合を重ねていたのだ。

 マンデラは1962年に活動資金集めのため国外に出るが、帰国後すぐ、無断に国外に出た罪で逮捕される。翌年、警察にこの秘密基地が見つかると国家反逆罪で終身刑に。46歳から27年間にもおよぶ獄中生活を強いられたことは、あまりにも有名だ。

ソウェト地区をサイクリング


250万人が暮らすソウェト(Soweto)。ヨハネスブルグの南西の郊外にあることから、South Western Townshipの略でそう呼ばれている。

 マンデラが長く暮らしていたのは、南アフリカ最大のタウンシップ、ソウェト地区だ。

「タウンシップ」というのは、アパルトヘイト時代、非白人を強制的に隔離し住まわせていた居住区のこと。現在、ソウェトは現地の人と触れ合えるスポットとして、観光客もじわじわと増えている。


ソウェトのレストランで迎えてくれた生バンド。ヨハネスブルグは音楽にあふれている。

 ソウェトを訪問するツアーも開催されていて、私も以前に何度か参加したことがある。

 けっして物見遊山的なものではないそのツアーは、この国を大好きになるきっかけにもなった。ともすれば隠してしまいたい過去の悲しい歴史を、今を生きる人たちに示していく姿に、圧倒的な底力を感じたからだ。


自転車で住宅街へ。ツアーは、ホステルのゲストでなくてもHPで簡単に申し込むことができる。

 今回の旅では、ソウェトを自転車でめぐるツアー、「ソウェト・バイシクル・ツアー」に参加することに。ホステルの「Lebo's Soweto Backpackers」が主催するもので、ガイドは生粋のソウェトっ子だ。


ツアーには「アウトドアレストラン」でのランチもつく。キャンプ気分で食べる料理はおいしい!

 自転車に乗る前に、地区内のレストランで腹ごしらえ。アウトドアのシンプルなブッフェレストランながら、南アフリカの郷土料理「ポイキーコース」は想像以上のおいしさだった。

 これは17世紀にオランダ人が持ち込んだ料理で、鍋のなかで野菜や肉を煮込むシチューのようなもの。臭みのないラムは何度もお代わりをしてしまった。


バイシクル・ツアーを案内してくれるのは陽気なガイドたち。街の説明をしている途中、不意に歌い踊り出すことも。

 お腹が満たされたら、いざソウェトへ! 安全面にも十分に配慮され、グループの前後にガイドが付き、事故なく走れるように常に気を配ってくれる。

 彼らは道すがら、自転車を止めてはいろいろな話をしてくれた。街の歴史、習慣、幼い頃の思い出話……。博物館を巡るだけでは知ることのない、リアルな南アフリカが見えてきてワクワクする。

子どもたちの挨拶の嵐に
迎えられて


ソウェトは、多くの政治的リーダーを生んだ場所として知られる、もっとも有名なタウンシップ。

 知られざる南アフリカに、ちょっと興奮しながら自転車で疾走する私たちを迎えてくれたのは、子どもたちによる挨拶の嵐。

 ちょうど下校時間帯だったのか、小学生から高校生までたくさんの子どもたちが道を歩いている。すれ違うたびに「ハーイ!」「ジャパン!」と声をかけてくれる子もいれば、ハイタッチをしようと駆け寄ってくる子もいて、こちらが照れくさくなってしまうほど。

 ここに住む人たちも、観光の経済効果をちゃんと分かって、歓迎してくれているのかもしれない。


「マンデラ・ハウス」。小さなこの家に、後に一国を変えるリーダーが暮らしていた。

 このツアーでは、マンデラゆかりのスポットにも立ち寄る。そのひとつが、現在はミュージアムになっている「マンデラ・ハウス」と呼ばれる旧宅だ。

 マンデラは1946年から長期投獄される直前の1962年まで、当時の家族とここで暮らしていた。家具や生活道具、思い出の写真が飾られていて、本当にお宅にお邪魔しているみたい。


「マンデラ・ハウス」の敷地には、2番目の奥さんにして同じく政治家である、ウィニーの写真を使った像も。

 マンデラ・ハウスが立つのは、フィラカジストリート。ここは世界で唯一、二人のノーベル賞受賞者を輩出した道。一人は言わずと知れたネルソン・マンデラ、もう一人は、反アパルトヘイト活動を行なったデズモンド・ツツ大司教だ。

 一帯はちょっとした観光地となっていて、お土産を売る屋台やパフォーマーの姿も。


フィラカジストリート。ノーベル平和賞受賞者を輩出した有名な通りを自転車で疾走。

 そんな賑やかな観光ムードのなかにあるのが、ここからすぐ近くの「ヘクター・ピーターソン博物館」。

 ヘクター・ピーターソンというのは、1976年のソウェト蜂起(市民による大規模な反アパルトヘイト暴動)の際、警察の発砲で亡くなった13歳の少年の名だ。彼の写真が世界に出回ったことで、各国からのアパルトヘイト批判の声が一気に高まったと言われている。


車窓から見るよりもぐっと近い自転車の目線。途中、駄菓子屋に立ち寄っておやつを購入。

 暗い過去も、現在も、あますところなく見せてくれる「ソウェト・バイシクル・ツアー」。もちろん、これで南アフリカのすべてを理解することはできないけれど、人々の暮らしの中に入っていくアクティビティーはとても新鮮。

 なにより、フレンドリーな人々や、質問に真剣に答えてくれるガイドの姿勢に、ますますこの国が好きになった。

Soweto Bicycle Tours
(ソウェト・バイシクル・ツアー)

https://www.sowetobackpackers.com/collections/bicyle-tours/

野を越え山を越え
マンデラの故郷・クヌ村へ!


クヌ村で迎えてくれたコサ族の女性。手作り料理がとてもおいしかった。

 この旅のハイライトは、東ケープ州のクヌ村。

 マンデラはコサ族に属するテンブ人の首長の子として生まれ、この村で育った。自伝『自由への長い道』では、「幼少期で最も幸せな時期を過ごした場所」として回顧している。


イーストロンドンから車で延々と約4時間。車窓に見えるのは牧歌的な風景。

 海沿いの中核都市、イーストロンドンから北へ約200キロ。野を越え谷を越え、子豚が走り回る牧草地を越え、アロエベラが育つ山間の村を越え、走り続けて4時間はかかる。

 地図で見たときはずいぶん遠いなあと思っていたけれど、南アフリカの原風景ともいえる景色を眺める、最高のドライブとなった。


木陰でのんびりと休む村人。外国人が珍しかったのか、こちらに向かって手を振ってくれた。

 長いドライブの途中、マンデラと同じコサ族のガイドが面白い話をしてくれた。

 一帯は、1994年まではトランスカイというコサ族の自治区だった。国際的には国として認められていなかったものの、南アフリカ政府からは「独立国」として扱われていたから、ヨハネスブルグなど他都市に行くときは、パスポートが必要だったのだそう。


カラフルな家が点在するクヌ村。大きな施設はひとつもない。

 ようやくたどり着いたクヌ村。レジェンドとも言える偉人を輩出した村は、さぞかし観光地として賑わっているかと思いきや、拍子抜けするほどのどか。「ネルソン・マンデラ・ユース&ヘリテージセンター」という小さな博物館兼宿泊施設と、一軒のB&Bがあるぐらい。


カメラを持って歩いていると、ポーズを決めてくれた村の子ども。ちょっとはにかんでいるところが微笑ましい。

 マンデラの故郷を一目見ようと訪れる観光客はいるけれど、大きなホテルがあるわけでもないし、ましてや一番近い都市、イーストロンドンからはガイドを雇って車で来るしかない。

 村のガイドに「ヨハネスブルグのソウェトのように、レストランや雑貨店を作る予定は?」と聞くと、答えはノー。

「ここには美しい風景と素朴な暮らしがある。ただお金をもうければいいわけではなく、バランスが大事」と、マンデラをアイコンに観光開発をするつもりはない様子。これはとても意外だったけれど、なんだかほっとする答えでもあった。

英雄を輩出した村は
今も90年前と変わらない


洗濯物を干すお母さん。カラフルな普段着はまるで衣装のように華やかで、それが村の風景によく映える。

 村には、ビルなんてひとつもない。ひたすら牧草地が広がり、そこで馬や羊がのんびりと草をはんでいる。マンデラが通った学校や、魚釣りに夢中になった川、駆け巡った緑の丘……。村が大々的に発展していなかったおかげで、私たちはマンデラがのびのびと過ごした幼少時代を想像しながら、歩くことができた。



左:チキンにポークにラム、ビーツやニンジンのサラダ。
右:コサ族の家庭料理を堪能。

 ランチは、マンデラの親戚が営むB&Bでいただくことに。スモーキーピンクの壁に三角屋根のカラフルな建物のなかに入ると、テントのように天井が高くて気持ちがいい。

 都会のレストランのような洗練されたものではないけれど、チキンにポークにラム、野菜の煮込み、ジンジャージュースなど、温かな家庭料理はとてもおいしかった。


風光明媚な地であるイーストロンドン。次回はもっとゆっくり滞在してみたい!

 ひとしきりクヌ村散策を楽しんだ後は、ふたたび4時間かけてイーストロンドンへ。

 東海岸にあるこの街は、ヨハネスブルグのような大都会の緊張感もなく、ケープタウンほどの洗練されたリゾート感もなく、ほんわかとした雰囲気。南アフリカというとサファリのイメージが強いかもしれないが、こんな海辺の街もある。


クラシカルな街並みに馴染む、イーストロンドン市庁舎。

 イーストロンドンを一言でいえば、ヨーロッパ風の建物とビーチリゾートがほどよく調和する都市。ビーチに面したホテルの部屋から眺めた、灯台が立つ岬と水平線も忘れられない。

 マンデラの足跡をたどる過程で偶然訪れた地方の街は、またいつか訪れたいなと思える素敵な場所だった。


ホテルの部屋から眺めた朝日。治安がよく、朝日を浴びながらジョギングをしている人たちもたくさんいた。

途中で立ち寄ったリゾート都市
ダーバンでのサプライズ


ダーバンではズールー族の一般家庭を訪問。エモーショナルなダンスで歓迎してくれた。

 この旅では、あたりにはなにもない田舎道にも立ち寄った。クワズールー・ナタール州の「ネルソン・マンデラ・キャプチャー・サイト」はその名のとおり、1962年、運転手に変装して車を運転していたマンデラが警察に捕まった場所。


キャプチャー・サイトにある記念碑。遠くから眺めると鉄柱が無造作に立っているようにしか見えないが、近寄ると、柱が重なりあってマンデラの顔が浮かび上がる。

 現在はマンデラが逮捕された場所として、観光名所になっている。芸術家、マルコ・チャンファネリによる鉄の棒50本でマンデラの顔を描写した記念碑は、田舎道の名物だ。


弧を描くビーチ沿いにホテルが並ぶダーバン。朝の散策途中、漁から帰る船に出会った。

 キャプチャー・サイトへの起点となるのは、大都会のダーバン。海岸沿いに大型のホテルやカジノが並ぶ、洗練されたリゾート都市だ。さらさらの砂浜にインド洋の温かい海水が打ち寄せるビーチはとてもフォトジェニック。

 ダーバンで私が楽しみにしていたのはズールー族のファミリー訪問だ。けっしてものすごくマニアックな旅ではなく、現地の旅行会社を通じてアレンジできる。これも観光立国、南アフリカならでは。


ズールー族の家庭で食べられている一般的な料理。ちょっと日本の煮物にも似ている。

 郊外のお宅を訪ねると、温かな料理を用意して待っていてくれた。豆、芋、ほうれん草、チキンと、食材は日本でもお馴染みのものが多く、味もとてもマイルド。遠い南アフリカのズールー族の家で食べる料理は、案外、和食にも似ていた。


最初に挨拶をしたときは大人しかったお母さんが、ダンスになると激しく踊り出したのにはびっくり!

 優しい料理の後に用意されていたのは、ズールー族の伝統的なダンス。キッチンで黙々と料理をしていたお母さんも衣装に着替えて、エモーショナルな動きを披露してくれた。

 楽器は空き缶やダンボールを工夫して作った使ったお手製なのだが、これがみごとな音色。


「サンゴマ」でもある娘さん。おしゃべり好きな彼女も、専用の部屋に入ると、真剣な表情に。

 ちなみに、近くに住む娘さんは、「サンゴマ」でもある。

 これは、ご先祖様とコンタクトをとれる、いわばイタコのような、ユタのような人。離れには専用の建物があって、ここでときどき、依頼者のご先祖様と対話をし、いろいろな問題を解決しているのだとか。

 多才でもてなし好き、そしてチャーミングなファミリーに出会えたことは、この旅のいい思い出だ。

 南アフリカには、ヨーロッパ系、アジア系、白人と非白人のミックス、ズールー族にコサ族など、多くの民族が存在する。そんな自国をマンデラは「レインボーネーション」と呼んだ。

「異なる色が重なり輝く虹のごとく、多数の人種が融和する国」というその意味を、この旅で心から実感した気がする。


芹澤和美 (せりざわ かずみ)

アジアやオセアニア、中米を中心に、ネイティブの暮らしやカルチャー、ホテルなどを取材。ここ数年は、マカオからのレポートをラジオやテレビなどで発信中。漫画家の花津ハナヨ氏によるトラベルコミック『噂のマカオで女磨き!』(文藝春秋)では、花津氏とマカオを歩き、女性視点のマカオをコーディネイト。著書に『マカオ ノスタルジック紀行』(双葉社)。
オフィシャルサイト http://www.journalhouse.co.jp/

文・撮影=芹澤和美

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