2018/12/31 10:00

ピラミッドにツタンカーメンの財宝 カイロの見どころ総ざらいの旅

 世界最大の石造建築物ピラミッドの内部を上ってみよう。ツタンカーメンの煌びやかな宝物を間近で見てみよう。古代エジプトのファラオたちが成し遂げた偉業を、およそ5000年の時を超えた今、体験できるのはまさに奇跡!

 偉大なるエジプト体験は時を超越して人の心を動かし、価値観さえ変えてしまう。2017年10月から直行便が復活し、日本からカイロへは約14時間。ファラオたちの栄華が花開く地へ、ひとっ飛びだ!


まずは三大ピラミッドへ!


ナイル川流れる首都カイロ。

 エジプトの首都カイロには、見てみたいものが目白押し。なかでも代名詞的存在のギザの三大ピラミッドは、カイロから西南西へ約12キロ、ナイル川を越えた西岸に位置する。


エジプト旅行最大のハイライト、ピラミッド&スフィンクス。

 紀元前2550年頃の古王国時代、ナイル川の河岸段丘の強固な台地に築かれた、ギザの3つのピラミッド。過去に大地震をこうむっても崩壊することなく、世界最大の石造建築は砂漠の中に威風堂々とそびえている。


少し離れた位置から3つのピラミッドを一望に。

 このうち最大の大きさを誇るのがクフ王のピラミッド。

 ガイドさんによると、軽くても1~2トン、下層部は3~7トンもある石灰岩を230万個(諸説あり)、210段も積みあげてある。

 巨大な石灰岩はルクソールから船で運び、滑車などは使わずに人々の力で引き揚げられた。構築にかかった月日は約20年。


近くで見ると、巨岩を積み重ねた壁面のぎざぎざがわかる。かつては化粧板で覆われ、白く輝いていたという。

 現在の高さは約136メートルだが、もともとは約147メートルもあり、現在はかつての高さをてっぺんの針が示している。かつては石灰岩の化粧板で覆われ、全体が白く輝いていたそうだ。

 砂漠に燦然と輝く白いピラミッド、想像するだけで神々しい。

いざピラミッドの内部を探検!


憧れのピラミッドを前に、ツーリストはみな興奮気味。

 クフ王のピラミッドの内部へ入ってみた。

 入口は本来のものではなく、9世紀前半にイスラムのカリフによって開けられた通称“マムーン”の穴から入る。

 湿気がこもった薄暗く狭い通路を中腰の姿勢でえんえんと歩く(あとで通路の長さは約47メートルと聞くが、きつい姿勢ゆえもっと長く感じる)。

 “大回廊”という高さ約8.7メートルの通路に出ると、姿勢をただせるものの登り坂は継続し、キツさは変わらない。この時、目指す“王の間”にたどりつくことしか、頭になし。

 さらに進んだ先の、グッと低い入口のスペースを四つん這いで抜け、王の間へ。

 が、この手前の窮屈なスペース、実は盗難防止の石落としの仕掛けだったのでは? といわれている。ただ王の間のことしか考えずに飛び込んだ私、昔ならば……と考えると、おそろしい。


王の間へ向かう細く狭い階段。譲り合いながらの交互通行。

 王の間は、背中を伸ばして立つことができるスペースに、蓋のない石棺がひとつ置かれている。

 壁はアスワンから運んだ、ひとつ17トンもある花崗岩がきっちりと積まれ、北側と南側に小さな通気口が開いている。この小さな孔は外部につながっているそうだ。

 石棺内を覗き、通気口に手を差し入れてみるが、特に何かパワーを感じるということもなかった。

 かつてナポレオンは、尊敬するアレキサンダー大王にならい、ココ王の間で一人、一晩を過ごしたそうだ。翌朝、出てきたナポレオンの顔は蒼白。何が起きたか尋ねても、信じてもらえないだろうと、誰にも語らなかったという。

 もうひとつ、ナポレオンといえばエジプト遠征時、「兵士諸君、ピラミッドの頂から、4000年の歴史が諸君を見下ろしている」と言って兵士達の士気を高めたというエピソードも有名だ。


ピラミッドの記念撮影スポット。つまんだり、押したり、工夫を凝らして撮影。

 クフ王の息子カフラー王のピラミッドは二番目の大きさながら、配置によって最も大きく見える工夫がなされている。

 高さ136メートル(もとの高さ143メートル)、一辺の長さ215メートル。化粧板がてっぺん付近のみ残り、キャップをかぶっているようになっているのが印象的だ。

 カフラー王の息子、クフ王の孫にあたるメンカウラー王のピラミッドは最も小さく、高さ約62メートル(もとの高さ65.5メートル)、底辺の長さは半分程度の105メートルと、他の2つの半分ほどのサイズ。

 財政が厳しかったからという説もあるが、オリオン座の腰の3ツ星になぞらえているのでは? という説もある。


カフラー王の顔を模したというスフィンクス。もろい地層部分があり、常に風化しているという。

 そして、カフラー王の顔を模した世界最大のスフィンクス。高さ20メートル、長さ73.5メートルあり、石を積み上げたのではなく、石灰岩の丘を彫りあげたものだ。

 幾度となく砂に埋没したが、新王国時代のトトメス4世が王子の頃、夢にスフィンクスが現れ、「掘り起こしてくれたら、王位につけるだろう」と予言。4年後に王位についたトトメス4世はこのことを思い出し、砂を取り除いて、修復したという。

 1798年にナポレオンが訪れた時も、スフィンクスは首から下が砂に埋まっていたそうだ。

黄金マスクに魅了される
エジプト考古学博物館


古代エジプトの秘宝が詰まった博物館。見ごたえあり!

 ファラオたちの威光とエジプト文化の粋を結集した秘宝コレクション12万点以上を収蔵する「エジプト考古学博物館」。

 フランス人考古学者オーギュスト・マリエットがエジプトの貴重な宝が海外へ流出してしまうのを防ぎ、保存しようと1835年に設立、初代館長をつとめた。

 1902年から今のカイロ中心部のタハリール広場の一角に構えている。



左:砂岩でつくられたメンチュヘテプ2世。
右:女性ファラオ、ハトシェプスト女王の顔を模したスフィンクス。

 1階は古王国時代からグレコ・ローマン時代まで、古代エジプトの年代ごとに展示がされている。

 象嵌で目力のあるエジプト史上最古の木像や、“アマルナ美術”といわれる写実的な巨像など、美への意識の変遷もうかがえるようだ。


ツタンカーメンの黄金の玉座。背面に注目。

 最大の見どころは、2階に展示されているツタンカーメンの宝物。なかでも撮影NGの別室に展示された黄金のマスクは、あたりに金粉が舞っているようなオーラさえ感じる。

 ツタンカーメンのシグネチャーカラー、黄金とラピスラズリのブルーのストライプがパキッと鮮やかだ。色にも意味があり、青は来世、赤は現世、黄金は永遠を表しているそう。

 精緻な細工が美しいツタンカーメンの玉座もみごと。背面に彫られた妻のアンケセナーメンがツタンカーメンに香油を塗っている姿が二人の仲睦まじさを物語っているよう。

 そして妻が亡き夫ツタンカーメンに捧げたとされる、ドライフラワーになった矢車草の花束に時を超えた愛を感じる。


1階から順に見ていくか、2階のツタンカーメンの宝へいきなり行くか、回る順も大切。

 2階の最奥にはミイラ室がある。新王国時代のファラオたちのミイラが計23体、展示されている。

 そこには、アスワンやルクソールで幾度となく名前を聞き、像を目にしてきたラムセス2世がいた。髪の毛が豊かに残り、鼻筋が整っている。こんなお顔立ちをしていたのか……。

 ハトシェプスト女王や彼女と不仲だったトトメス3世もいた。栄華を誇ったファラオたちが実在し、21世紀の今、この部屋に集まっていることに、あらためて驚く。

Egyptian Museum
(エジプト考古学博物館)

所在地 15 Meret Basha, Ismailia, Qasr an Nile, Cairo Governorate
電話番号 02-2578-2452

オールドカイロで
聖書の世界に触れる


目がくりっと大きく、彫りの深いイエスとマリア。

 カイロの南部に位置するオールドカイロは、ファラオたちの古代エジプトでも、コーラン響くイスラムの世界でもない、まったく別の顔を見せる。

 その街並みにはエジプトにおけるキリスト教の一派、コプトの人々の受難の歴史が刻まれている。


細い路地の本屋の前でひと休み中のツーリスト。

十字架やマリア像など、街角にキリスト教の印が。

 エジプト国民の約1割が信仰しているコプト。紀元前40年頃に福音書を記した聖マルコによってもたらされ、2世紀にはアレキサンドリアを中心に全土に広まった。

 その後、ローマ皇帝によるキリスト教弾圧や、宗教議会で異端とみなされての抑圧、アラブ民族の侵攻によるイスラムへの改宗など、苦難の道を歩む。そんなコプトの人々が逃げ込んだのがオールドカイロだった。


4世紀から5世紀にかけて建造された聖セルギウス教会。

 細い路地裏を抜けて、バシリカ様式の聖セルギウス教会へ。

 幼子だったイエスとマリア、ヨハネの聖家族がヘロデ王のたくらみから逃れてエジプトへ渡り、3カ月間にわたり隠れたという地下道の上に教会は立っている。


地下に降りると、聖家族が隠れていたとされる部屋が。

 地下に降りてその場所を前にすると、新約聖書に出ていた “エジプトへの逃避”が、にわかに現実味を帯びてくる。


19世紀の修復時に“神”にまつわる手紙や手形など、大量のゲニザ文書が発見されたことも話題になったベン・エズラ・シナゴーグ。

 この国最古の8世紀に建造されたベン・エズラ・シナゴーグは、預言者モーゼがファラオの王女によって川から救い上げられた場所とされる。


コプトの十字架は末広がりになっているのが特徴。ここは聖バルバラ教会。

 その向かいの聖バルバラ教会は、7世紀に建造され、11世紀に修復された初期コプト教会。殉教した聖バルバラをまつる教会では、乳香たちこめる教会内に強いひとすじの光が差し込んでいた。

“千のミナレットの街”をめぐり
市場で土産探し


祈るために人々が集まり、入りきれなかった人は外で膝まずくアル・フセイン・モスク。

 コーランが響き、モスクへ祈りに訪れた人々とすれ違うイスラム地区。

 7世紀にアラブ民族が侵攻して以来、イスラムの中心的な役割をなしてきた。イスラム建築めぐりやハーン・ハリーリのスーク(市場)など、異文化体験が待っている。


迷路のようなスークを歩きながら、土産物探し。

 祈りの時間にごった返すアル・フセイン・モスクを横目に通り過ぎ、カイロきってのスーク、ハーン・ハリーリへ。



左:スークから見上げたモスクのミナレット。
右:イスラムの暮らしぶりがうかがえるのも、この地区の醍醐味。

 屋根付きの薄暗い路地に入ると、土産物店がずらりと並んでいる。ツタンカーメンのマスクのミニチュアや、水たばこの器具、金・銀・銅細工のアクセサリーに衣類など、まさに玉石混交。

 たまたま入った香水瓶の店で、クレオパトラやネフェルティティがつけていた香りだとすすめられ、思わず購入。今思えば、どうして彼女たちの香りを知っているのだろう……?


別名“アラバスタ・モスク”とも呼ばれるムハンマド・アリ・モスク。白い鉱石の外壁は砂埃のせいか、薄茶色に……。

 イスラム地区の南東の小高いモカッタムの丘には、12世紀に十字軍による侵攻を防ぐために造営された城塞、シタデルがある。


ムハンマド・アリ・モスク内のドームは無数のライトが同心円を描いている。

 高さ10メートル、厚さ3メートルもの堅牢な城壁の中に点在する、精緻な細工や意匠が美しいイスラム建築が見どころ。

 中でも外壁に白い鉱石のアラバスタ、ドームにシルバーを使ったムハンマド・アリ・モスクは、壮麗なたたずまい。


モスクでは、ちゃんと靴を脱ぐルール。

ムハンマド・アリ・モスクから見たカイロ市街。

 スッと伸びたミナレット(塔)は高さ84メートルあり、エジプトでいちばんの背高のっぽだ。高台にあるため、カイロの街を遠くまで見晴らすことができ、うっすらと茶色がかった街に、高層ビル群が連なっている。

 ニックネームの“千のミナレットの街”にも時代の流れは訪れているようだ。

カイロの仕上げは
ナイル川ディナークルーズ!


激しいダンスにみな釘付け!

 母なるナイル川を行くクルーズディナーで、エジプトの夜を華やかに彩ってみてはいかが?

 数々の賞に輝く「ナイル・マキシム」は、各国の大臣や賓客をもてなすのにも使われる、人気のクルーズ船だ。


優雅な船内。クルーズ中、ほとんど揺れは感じない。

 重厚感のあるウッド仕上げの船内に生演奏の音楽が流れる中、しばしのクルージングタイム。デッキから望むカイロの夜景もムード満点だ。


コース料理とアラカルト料理がある。

 料理をいただきながら、くるくると激しく回りスカートを自在に操って踊る“タンヌーラ”を鑑賞し、盛り上がったところでベリーダンサーが登場。有名な踊り手らしく、「クリスティーナ!」と名前を叫ぶ声援がすごい。

 腰をぐるんぐるんと回し、長い髪を歌舞伎の連獅子のように振り回し、右に左にステップを踏んで全身で踊る様子は妖艶にしてダイナミック。伝統的なベリーダンスからBボーイを連れ立っての今どきのダンスまで、めくるめくお客もまきこんでクリスティーナは踊りまくる。

 2時間のクルーズはあっという間に感じられるはず。

Nile Maxim
(ナイル・マキシム)

所在地 Saray El-Gezira St, In Front of Cairo, Marriott Hotel, Zamalek
電話番号 02-2738-8888
http://www.maximrestaurants.com/restaurant4.php

【取材協力】
エジプト政府観光局

http://www.egypt.travel/ja


古関千恵子 (こせき ちえこ)

リゾートやダイビング、エコなど海にまつわる出来事にフォーカスしたビーチライター。“仕事でビーチへ、締め切り明けもビーチへ”をループすること1/4世紀あまり。世界各国のビーチを紹介する「世界のビーチガイド」で、日々ニュースを発信中。
「世界のビーチガイド」 http://www.world-beach-guide.com/

文・撮影=古関千恵子

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