2019/02/22 18:00

佐藤浩市の息子・寛一郎は 日本映画界が注目するサラブレッド

 2018年の「キネ旬」新人男優賞を受賞するなど、今、日本映画界が注目する寛一郎。俳優・佐藤浩市を父に、三國連太郎を祖父に持つ、若きサラブレッドである彼が、俳優としての覚悟、そしてデビュー作での想い出について語る。

父の撮影現場について行った
幼少時代


――幼い頃に持っていた夢は?

 物心ついたぐらいのときは「お医者さんになって、家族を助けたい」といった夢を持つことがありましたが、小学生以降は、明確な夢みたいなものを持っていませんでした。周りの同級生みたいにサッカー選手や野球選手になりたいとはまったく思いませんでした。中学生の頃に、「スラムダンク」に憧れて、短期間だけバスケットボールをやっていたこともあるんですが、三日坊主な性格もあり、そう長くも続かず……。そういうことから、今思うと夢を聞かれるのが苦痛だったようにも思えます。


――その一方、幼少時代から、お父さん(佐藤浩市)の撮影現場について行かれていたようですが、それを機にお父さんの職業を知ったのでしょうか?

 それで父の職業を知ったというより、僕が父の現場について行くことを、母がどこか習慣付けるようにしていたんだと思うんです。小さいながらに、世間一般で言われるお父さんの職場とは違うことを理解していたし、何を見ても新鮮に映りましたし、本番中は静かにしなきゃいけないという、どこかピリついた空気も感じ取っていました。でも、その頃のいちばんの想い出といえば、スタッフさんやキャストさんが可愛がってくれたことですね(笑)。たとえば、ドラマ「プライド」の現場で、木村拓哉さんに遊んでもらった記憶は、今でも鮮明にありますね。

生半可な気持ちで
役者になりたいとは言えなかった


――過去のインタビューで「覚悟できるまでに18年かかった」と言われたように、18歳のときに、役者の道を目指すことを決意されます。そこに至るまでの葛藤については?

 将来の夢を聞かれるのが苦痛だったのは、周りの人たちが「この子はきっと役者をやるだろう」と思っていることを、なんとなく感じていたからだと思うんです。だから、そこに反抗していた部分もありますし、どこかで逃げていた気もします。いろんな現場を見ていたからこそ、生半可な気持ちで「親と同じ職業である、役者になりたい」とは言えなかったんです。本当に、自分が決意したときじゃないと。それで、やっと覚悟できたのが、18歳のときだったということです。


――ちなみに、映画は幼い頃から観ていたのでしょうか?

 本格的に観るようになったのは、役者を目指すようになってからですが、自分から積極的ではないにしろ、小さい頃から常に映画に触れている環境だったと思います。そんななか、中学生のときに観た『カッコーの巣の上で』や『ディア・ハンター』は衝撃的でした。そういった作品や、撮影現場の仕組みみたいなものを知っていることで、どこかで同級生とは違った映画の見方をしていることも自覚していたと思います。

監督によって
感情を解放されたデビュー作


――その後、ロサンゼルスに短期留学した後、事務所に所属し、俳優活動を始められます。

 ご縁があった事務所に所属したのですが、僕はタレントになりたかったわけでも、アイドルになりたかったわけでもないんです。役者になりたい。そして、誰にも負けたくないという覚悟を持っていたこともあって、役者さんだけが所属する事務所で、この先、頑張っていこうと決意しました。


――そして、17年にデビュー作『心が叫びたがってるんだ。』が公開されます。ただ、撮影順でいえば前年16年秋に撮影した『菊とギロチン』(18年公開)が先なんですね。

 何の経験もないまま、瀬々敬久監督とお会いして、『菊とギロチン』のオーディションを受けたんですが、出演が決まったときは不安の方が大きかったです。映画を観ることで演技のインプットの仕方は分かっていても、アウトプットの仕方が分からない。最初はそこで悩みましたし、まったく感情的な芝居ができないということで、瀬々さんにシゴかれました。しかも、当時の僕はあまり相手の目を見て話すことができなかったので、そういう初歩的なことから徹底的に叩きこまれました。決して辞めたいとは思いませんでしたし、結果的に瀬々さんに感情を解放され、フックを外してもらいました。

村上虹郎、中島健人という
大きな存在


――続いて撮影されたのが『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。こちらはいわゆる松竹のメジャー作品でした。

 最初の作品がインディーズ(自主制作)の『菊とギロチン』で、本当に良かったと思うんです。これまで見てきた父の撮影現場とは違う、低予算ゆえの独特の空気感も刺激的でしたし、インディーズの良さも知ることができました。その経験を踏まえての『ナミヤ』の現場だったわけですが、ここではセット撮影という初めての経験をさせてもらいました。また、同世代の山田涼介くんや村上虹郎くんと一緒に芝居をやるのも新鮮でしたし、慣れ合いにならない距離感も自分に合っていました。虹郎とはその後も食事にも行くような関係で、境遇も似ているし、本質なところは近いと思うんです。だからこそ、僕のなかではかなり意識している同志といえる存在ですね。

――そして、同年人気アニメ原作の実写版である『心が叫びたがってるんだ。』に出演されます。

 アニメ原作の実写化ということで、まだまだ経験不足の自分のなかでは、どこかで葛藤していました。青春群像劇のなかで、アニメでは表現できなかった人間らしさが出せるのか? と。でも、僕が思っていた以上に難しいものではなかった気がします。それに中島健人くん、芳根京子さん、石井杏奈さんといった共演者のおかげで、とても心地良い時間を過ごすことができました。去年、中島くんのドラマ「ドロ刑 -警視庁捜査三課-」にゲスト出演させてもらったんです。それが僕にとって、初めてのゴールデン(タイム)のドラマで、撮り方など、いろいろ戸惑うことがあったんですが、中島くんには気持ちのうえで、いろいろ助けてもらいました。彼は僕のなかで、数少ない友達といえる存在です。

~次回は、初主演映画『君がまた走り出すとき』などについて語っていただきます~


寛一郎(かんいちろう)

1996年8月16日生まれ。東京都出身。俳優・佐藤浩市を父に、三國連太郎を祖父に持つ。18歳のとき、俳優になることを決意し、17年『心が叫びたがってるんだ。』で俳優デビュー。『ナミヤ雑貨店の奇蹟』では、第27回日本映画批評家大賞新人男優賞を、『菊とギロチン』で第92回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第33回高崎映画祭最優秀新進俳優賞を受賞。また、出演作『雪子さんの足音』が静岡先行公開中。


『君がまた走り出すとき』

犯罪に手を染め、警察に追われて逃げこんだ民家で老婦人・多笑(松原智恵子)に、亡き孫と勘違いされた翔太(寛一郎)。成り行き上、その家に住むことになる彼だったが、数日後に訪ねてきた多笑の孫・佳織(山下リオ)と鉢合わせに。その後、彼はラジオで地元市民ランナーの話題を聞いたことで、マラソン大会に参加することに。
MOVIX川口にて、川口先行公開中。3月2日(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
http://kimimata.com/
(C)2018 川口市

くれい響 (くれい ひびき)

1971年東京都出身。映画評論家。幼少時代から映画館に通い、大学在学中にクイズ番組「カルトQ」(B級映画の回)で優勝。その後、バラエティ番組制作を経て、「映画秘宝」(洋泉社)編集部員からフリーに。映画誌・情報誌のほか、劇場プログラムなどにも寄稿。

文=くれい響
写真=榎本麻美
ヘア&メイク=升水彩香
スタイリスト=越中春貴(Rim)



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