2019/07/20 17:00

特別対談 近田春夫×矢野利裕 SMAPが体現した「クラブの時代」

 2019年2月、近田春夫の綴る週刊文春の長寿連載「考えるヒット」から興味深い書籍が誕生した。

『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。タイトル通り、ジャニーズ事務所に所属するアイドルたちの曲を扱った、神回ならぬ「ジャニ回」を抽出してまとめたスピンオフ的な一冊である。

 その出版を記念し、ジャニーズ事務所が60年近くにわたって生み出してきた音楽をめぐって1951年生まれの近田氏と語り合うのは、2016年に『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)を上梓した1983年生まれの矢野利裕氏。

 32歳違いのトークをお楽しみあれ!


▼talk02
SMAPという大きすぎる転換点


左から:矢野利裕氏、近田春夫氏。戦後史の一ジャンルと呼ぶべきジャニーズへの興味が、親子ほど年の離れた2人をつなぐ。

矢野 近田さんは、『考えるヒット テーマはジャニーズ』の舞祭組(ブサイク)の項で、中居(正広)くんと話したことを書いていらっしゃいますよね。そのことも詳しくお聞きしたくて。

近田 フジテレビの「TK MUSIC CLAMP」(中居MCは1996年5月~1997年6月)っていう番組に、中居くんと僕がしゃべるコーナーがあったんだよ。そこでレコーディングかなんかの話をしたときに、「次の作品はどんな曲になるの?」みたいなことを聞いたのかな。

 そうしたら「えーっ、そんなこと知るわけないじゃないですか!」って、ものすごくショックを受けたような表情でね。

矢野 彼は歌い手が制作に関わることを新鮮に感じたんですかね?

近田 わかんないけど、自分は与えられたものをやるということ以外は想像をしたこともないって感じだったね。俺なんかはさ、ずっと自分ひとりでやっていたじゃないさ。「そういう人がいるんだ!」みたいな。

矢野 与えられた曲を歌うだけ、という発想だから。

近田 うん。のちには彼も自分でプロデュースをしたりするようになるけど、90年代のジャニーズはそんなものだったのかもしれないね。

矢野 自作自演じゃないのがジャニーズの基本線ですもんね。

近田 時代の流れで、だんだん自意識に目覚めてきてさ、自分で作る人も出てきたりするから、俺が好んでいるジャニーズ的なものではなくなってきているのかもしれないね。

矢野 自分の本ではその最初がSMAPだという話をしているんです。

 ジャニーズという世界観がまずかっちりあって、そこでは与えられたものをきちんとこなすプロフェッショナルというあり方が基本で、歌い手の自意識とか自我はあまり入ってこない。

 SMAPはその中ではなかなかブレイクできなくて見放されかけていたんですが、飯島三智さんがプロデューサーになって従来のジャニーズの華やかさを捨てさせたら、むしろ人間的な魅力を発揮するようになっていった。

 視聴者からしたら、仰々しい華やかさじゃなくて等身大な感じがいい、みたいな。僕自身もそう思った記憶があります。

 関ジャニ∞やKAT-TUNのメンバーが自分の音楽性を追求したくて辞めるみたいなことは、そのずっと先に起きたことなのかなと思います。そういう意味でSMAPは大きな転換点かもしれないですね。

近田 僕もそう思う。最初は鳴かず飛ばずだったから、やけっぱちだったのかもしれないけど、SMAPにはそれまでのジャニーズにないものがあったんだよ。素人っぽさというか、あるいはストリート感みたいなことかもしれない。

SMAPはラフに踊るから
メンバーの個性が際立つ

近田 ブレイクし始めたころのSMAPって、ダンスの振りがけっこうラフだったよね。ジャニーズの伝統と照らし合わせると、ちょっと生身な感じがして。

矢野 脱力感がありましたよね。

近田 うん。そこが新鮮だったんだと思うよ。

矢野 ミュージカル的な振りだときびきび揃っていますもんね。

近田 ちょっと揃いが悪いのよ。ヘタというのとは違うんだけど、メンバーそれぞれの個性が際立つというかさ。

 それまでのジャニーズの人たちはさ、今言ったようにミュージカルみたいな意味で、役を演じるというか、内側の人間性は出さないんだけど、SMAPはそれが妙に出る。街を歩いている普通の男の子の感じがちょっとあったんだよね。

矢野 僕が『SMAPは終わらない』という本で強調したのは、「ディスコからクラブへ」ということです。

近田 例えばそういうことかもしれないね。

矢野 ドレスコードがあって、大バコではみんなが同じステップを踏むみたいなディスコの文化じゃなくて、フラッと普段着のまま行って、好き勝手に踊って帰りたい時間に帰る。そういうクラブに流れている音楽みたいなイメージでした。

近田 ちょうど音楽の流行もクラブ系だったしね。

矢野 服装も普通っぽくて親しみやすいなって、当時思った記憶があります。

近田 やっぱりSMAPのところで何かが変わったことは確かだと思う。

矢野 全然関係ないですけど、近田さんのアルバム『電撃的東京』(1978年)は自意識を廃しているように聞こえるんですけど、どういうふうに作られたんでしょうか?


近田春夫&ハルヲフォンが78年に発表したサードアルバム『電撃的東京』。森進一の「東京物語」、山本リンダの「きりきり舞い」、平山三紀の「真夜中のエンジェル・ベイビー」といった歌謡曲のカバーを収めた名盤。

近田 そろそろ次のアルバムを作らなきゃというときに、曲があんまりできてなかったんだよ。

 銀座のディスコで箱バンをやっていてレパートリーが増えたのと、当時は郷ひろみとか歌謡曲にはまっていたから、そういうのをセックス・ピストルズみたいにやったらかっこいいからやろうぜ、みたいな。ものすごく低レベルな発想。

 そしたら受けちゃったんだよね。自分の曲はほとんどないから、受けても儲からないんだけどさ(笑)。

矢野 「恋の弱味」も「ブルドッグ」もやっていますよね。

近田 「ブルドッグ」にはショックを受けたからね。日本の芸能界的な歌謡曲にロックを見出すという、無理やりなことをやる遊びだったんですよ。

矢野 自作自演がホンモノで歌謡曲はお仕着せだからニセモノみたいに言われがちですけど、僕は理屈っぽく考えちゃうところがあって、「考えてみれば人前で歌っている時点で演じているんじゃん」と思ったら、自我を押し出してくるロックのほうにどこかわざとらしい印象を抱いて、むしろパフォーマンスに徹するジャニーズの身体的な躍動のほうに、ある種のリアルさを感じたりしました。

近田 その気持ちはすごくわかりますよ。自分の中にはその両方があるんだけど、当時は本当に世の中がすごくロックに傾いていた時代で、今、言われたショービズ的な考え方はダサいものみたいな風潮があったんですよ。

ジャニーズの基本姿勢は
「お客様は神様です」

矢野 そのダサいと言われていたものにちゃんと向き合っている数少ない人の中のひとりが近田さんだった、みたいなイメージが僕にはあるんです。影響というとおこがましいですけど、自分が感銘を受けたのはそういうところでした。

近田 僕がそういう意識を持つようになったのは、ソウルミュージックの影響なんだよね。1970年にアイク&ティナ・ターナーが来日して、赤坂のMUGENというお店で演奏したんですよ。

 見に行ったらさ、とにかくサービス精神の極致みたいなライブなわけ。演奏はレコードと寸分違わず、でも普通のロックバンドなんか手が届かないぐらいの達者な演奏で、何度見ても同じことをやっている。そこに逆にものすごくロックを感じたわけ。

 それともうひとつはシャ・ナ・ナだね。彼らもある意味で「ロックの本質はもともとショービズだったじゃん」って批評として音楽をやっていたような気がする。

――ヒッピー全盛の60年代末にオールディーズを甦らせたインテリバンドですよね。


シャ・ナ・ナが69年にリリースしたファーストアルバム『Rock & Roll Is Here To Stay!』 。コロンビア大学の学生を中心に結成され、69年に出演したウッドストック・フェスティバルにおけるパフォーマンスは喝采を浴びた。

近田 ロックってよくも悪くもステージ上の人がいちばん偉いけどさ、ショービズは基本的に「お客様は神様です」っていう考え方じゃない。

 ジャニーズも「俺たちは商売でこれをやっているんだから、お金を払ってくれたお客さんに全身全霊で尽くすべきだ」という意識を、今も昔も強く持ち続けている気がするのね。

 ロックの人たちはその精神に反発して、「聴かせてやるぜ」みたいな気持ちで自己中心的にやっていた。

 俺の場合は、サウンドはロックだけどステージに立つときの意識は商売だから、ロックの人たちからは「客に媚を売って……」みたいに思われて、ショービズの人たちからは「ロックの人はよくわからない」とどっちからも冷たく扱われるという、えらい目に遭ったよね(笑)。それが楽しくてやっていたんだけどさ。

――近田さんは「ロックはダンスミュージックだ」とも言っていて、音楽雑誌が「知的」と評価するようなロックを「あれはフォークだ」と主張していましたよね。

矢野 僕はビートルズにずっと苦手意識があるんです(笑)。エルヴィス・プレスリーは好きなんですけど。

近田 俺も好きだよ。

矢野 踊れるから。ビートルズも聴きますけど、踊れないのがちょっと。

近田 フォークだよ。だって別にエレキじゃなくてもいいんだもん。

矢野 日本のロックにはビートルズの影響がすごく大きいけど、ジャニーズにはそれが少ないのが、たぶん自分の好みに合うんですよね。THE GOOD-BYEってどう思いますか?

近田 ヨッちゃん(野村義男)? 君はどう思うの?

矢野 ヨッちゃんのバンドなので、最初はハードロックかなっていうイメージがあったんですけど、意外と重要なのはヤッチン(曾我泰久)のほうなんだなって。

 ヤッチンさんは70年代半ばにリトル・ギャングのメンバーとしてデビューして、いろんな人たちのバックを務めたりしていた人ですけど、ライナーを読むと大瀧詠一フリークなんですよね。

 アルバムを聴くと大瀧詠一っぽいというか、ちょっとフィル・スペクターを意識した曲があって。そういう曲はすごく好きです。

豊川誕とJJS
低迷期のアイドルたち


関ジャニ∞、KAT-TUN、THE GOOD-BYE、Sexy Zone……。さまざまなグループの名が話題に上る。

近田 俺はTHE GOOD-BYEはなんとなくピンとこなかったんだよね。ヨッちゃんって別にジャニーズにいる必要ないじゃん。

矢野 たしかに「自分たちで曲を作ってやります」みたいな感じは、ジャニーズの中では特異なポジションでした。だから中途半端になったのかもしれませんけど。

近田 ジャニーズの中で唯一フォークっぽいかもね。

矢野 そうですね。豊川誕なんかもフォークっぽいけど、あれは演出ですからね。

近田 豊川誕の場合は、売りは音楽じゃないから(笑)。「孤児院出身」。

矢野 ムチャクチャですよね。

近田 因果ものだよ。そこを強調しすぎて失敗したと思うんだ。最大のヒット曲の歌詞が《可哀そうな 星めぐり 人に言われて 気がついた》(「星めぐり」1975年 作詞/安井かずみ 作曲/平尾昌晃)だよ。《親のない子は 焼かないパンを/喉に詰まらせ 水を飲む》(「白い面影」1977年 作詞/阿里あさみ 作曲/浜圭介)とかさ。そんな暗いのが売れるわけないじゃん(笑)。

矢野 寺山修司も作詞していましたよね(「ぼくの消息」1976年)。

近田 豊川誕からたのきんトリオまでの間の低迷期は面白いんですよ。君が生まれるより前だけど。

矢野 70年代後半はいろいろな人が出ては消え、出ては消え、ですよね。

近田 豊川誕が失速して、次はJJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)じゃん。あのあたりからどんどんダメになってくる。

矢野 JJSはデビュー曲が「ベルサイユのばら」(1975年)なんですよね。ジャニーさんが宝塚を参考にしているからかなと思うんですけど、最近Sexy Zoneが宝塚のバラのモチーフでやっていて、JJSの系譜なんだなと思いました。

近田 ああ、そうだったね。あそこ、系譜はずっとあるよね。

矢野 マリウス(葉)くんの母親は宝塚出身ですし。

近田 詳しいね。俺、そういう背景はよく知らないから。

矢野 面白いのは、マリウスくんは母親のようになりたかったんですけど、男性だから宝塚には入れなくてジャニーズに入ったという経緯なので、本当に系譜としてはしっかりとつながっているんですよ。

talk03に続く


『考えるヒット テーマはジャニーズ』

著・近田春夫
本体1,600円+税 スモール出版


近田春夫(ちかだ はるお)

1951年東京都生まれ。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。80年代以降はビブラトーンズなどを率いてバンド活動を続ける傍ら、タレント、ラジオDJ、作詞・作曲家、CM音楽作家など多彩に活躍する。86年にはプレジデントBPMを名乗って日本語ラップの先駆者となり、87年には人力ヒップホップバンドのビブラストーンを結成。96年からは週刊文春で「考えるヒット」を連載。現在は、元ハルヲフォンのメンバー3人による新バンド「活躍中」として活躍中。2018年10月には、ソロアルバム『超冗談だから』をリリース。12月には、OMBとのユニット、LUNASUNのアルバム『Organ Heaven』が発売された。


矢野利裕(やの としひろ)

1983年東京都生まれ。批評家、ライター、DJ。東京学芸大学大学院修士課程修了。2014年、「自分ならざる者を精一杯に生きる――町田康論」で第57回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。共著に、大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と二十一世紀』(おうふう)、単著に『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」』(垣内出版)、『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』(Pヴァイン)がある。

構成=高岡洋詞
撮影=山元茂樹



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