2019/09/15 11:00

シングルマザーという人生を選んだら? 川上未映子『夏物語』の舞台裏に迫る


トークショーの行われたHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEに立つ川上未映子氏。華やかな色合いの“Rouje Paris(ルージュ パリ)”のワンピース。

 作家川上未映子の最高傑作との呼び声が高い『夏物語』(文藝春秋)。その出版を記念したトークイベント「花田と新井の答えのない読書討論会 vol.3 川上未映子『夏物語』について語る」がHMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEで行われた。

 大阪の下町に生まれ育ち、東京で小説家として生きる38歳の夏子の中に芽生えた「自分の子どもに会いたい」という願い。パートナーなしでの出産を目指す夏子をめぐる悲喜こもごもの物語は、読み手によってさまざまな表情を見せる。

 この、一言では語ることの難しい、それでいて誰かと語らずにはいられない小説をひもとくのは、HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGE店長の花田菜々子さんと、同店員の新井見枝香さん。本をめぐる著書もある、最高の読み手の二人と、著者・川上未映子さんによるトークの模様をお届けする。


花田 さっそく我々の感想から。どうでした? 新井さん。

新井 結構時間がかかりました。特に前半。しゃべらない緑子(夏子の姪)を書いた部分が良すぎて、なかなか進まない。純文学とエンタメの差があまりなくなっているような気がしました。

花田 私も今日のためにさらっと読み返そうと思ったんですが、最初の文章からもう面白すぎて飛ばせないんですよ。冒頭、電車で向かい側に女の子が乗っているっていうそれだけエピソードなんですけど、ぐいぐい引き込まれる。

 一つの殺人事件を解決するというような引きのある話じゃないし、時制も途中で変わるし、語る人も何人か出てきて話がばらけそうなのにばらけない。

川上 内容についてはどうでした?

花田 いろんな女の人が自分の境遇について語るのですが、子供を産むとか産まないとか言われなくてもいいんだというような普遍的な話じゃなくて、もっと身につまされる、一人の人生がひっくり返される次元のダイナミズムというか。

 それでいて、出産を考えている人には、ためになりました! みたいな感想になるかもしれない。そういう複雑さがこの本の魅力の一つかなと思います。

新井 この本はPOP(書店の棚に貼る紹介メモ)がすっごく書きづらくって。

「子供を産みたいと思っている女性にぴったりです!」ではないじゃないですか(笑)。一言では本当につかみきれない、つかもうとしてもすぐすり抜けてしまう。

 私、何人かの小説家の人とこの本について話をしたんです。毎回すごく発見があって、びっくりするところに引っかかりを覚える人もいたりして面白かったです。

花田 恋愛小説とも言えるしね。

新井 あと作家が出てくるので、小説を書くことや、表現をすることや、夢を追うとか。

花田 貧困についての小説でもある。今の社会状況で子供を産んで、どう生活していけばいいのかということもすごく書かれているなと思う。

川上 (原稿用紙)1,000枚っていう長さはやっぱりちょっと違うんだなって、今回思いました。いろんな問題を扱えるんだけれども、やっぱり賭けでもあって。

 読んでくれる人に1,000枚も付き合ってもらうわけだから、とにかく面白くしたかったんです。そんなふうに読んでもらえてすごく嬉しいな。

女性だからの生きづらさを
笑い飛ばしたい


左から、新井氏、川上氏、花田氏。女性が三人集まれば本音もぽろり⁉

新井 この小説をドラマチックにするために、何かコトを起こしたりはしたんですか?

川上 ドラマティックなものも好きなんですけれど、今回はとにかく、「切実なんだけれど面白くて、ああこの話、まるごと残った!」みたいなものにしたかったんです。

 貧乏ってこんなふうに連鎖していくよなとか、女の人の生きづらさってこれだよな、とか、家父長制とか制度とかから弾かれて、しんどい男性も出てくる。運の悪い人も。泣き笑いっていうか、そのムードのなかで、人生において本当に大切な問題について書きたかった。

 巻子とか、書いている時すごく楽しかったです。

花田 全体としてとても重いテーマですが、くすっと笑えるシーンが随所にありますね。

 未映子さんてお姿もすごくお美しいし、純文学性みたいなものだけでも100点の作家さんなのに、なんで笑わせにくるんですか?(笑)

 たとえば、みんなはうまくできていることを自分だけできないみっともなさとか惨めさみたいなものを、『夏物語』に限らず書き続けているじゃないですか。

川上 うん、私自身はそっちのほうに、すごく馴染みがあるんです(笑)。子どもの頃からいじけ癖があって、暗くて(笑)、だから人生とか人間について書こうとすると、それがどうしてもベースになっちゃうんですよね。

 でも幸い、病気がなく、一緒にサバイブした姉と弟がいて……あと、やっぱり大阪弁って面白さを連れてくるんですよね。本当にお金がない時も、最悪の状況のときでも、基本的になんか、笑いが入っちゃう。

 外からみると、どんなふうに映っているのかわからなんだけれど、仕事とか人間関係とか生活も、何もかもうまくいかない時期が本当に長かったから、今、こんなふうに自分が書いたものが本になってとか、それでこんなにたくさんの人が読んでくれるなんて夢みたいだって、いつも思っています。

花田 「生まれない方が良かったと思っている人はいっぱいいるんだよ」という言葉に、何で? と思う人もいると思います。

川上 善百合子は、夏子がAID(非配偶者間人工授精)シンポジウムで出会った女性ですよね。

 わたし自身は出産をしたけれど、彼女の言っていることがよくわかるんです。善百合子は生命自体を否定しているのではなくて、そもそも人が人を生むことに無理があるんじゃないかって言ってるんだよね。

 彼女自身は壮絶な人生を送りながらも生まれてきたことを後悔してないけど、でも、産む人と、生まれさせられる側とのあいだにある非対称性について考えてくれよって。

 仙川さん(夏子の担当編集者)は経済的なこととか、社会的な苦労から子供って難しいって言うんだけど、善百合子はそもそも越権行為ではないかという発想。

 夏子も、人を好きになる気持ちと出産や性器が関係しているのって、私たち織り込み済みでスタートするけど、本当ですか? っていう。

『夏物語』で一番人気の
キャラクターは?


熱いトークが繰り広げられるなか、全員が川上氏の言葉にくぎ付け。

花田 一番の人気キャラ恩田(個人で精子提供をしている男性)について話しますか?

新井 恩田の精子で誰かは産んだわけですよね。それでかわいいかわいいって言っているんですよね。そう思うと恩田のこともそうそう嫌いになれないと思いました。

川上 この小説を書く時に直接人に会って取材はしなかったんですが、資料はたくさん読んで。女性側の自分の子供に会ってみたいという気持ちはわかるんですけど、精子バンクに登録したり、恩田みたいに個人で精子提供している方の動機ってどんななんだろうと。そこは今も興味深いですね。

 確認できない子どもの存在とか、妊娠とかを、本当のところはどういうふうに感じているんだろうか。

花田 どう受け止めてるんでしょうね。

川上 うん。無償で精子をあげたいって人って、インタビューを読む限りでは、「純粋な人助け」ってみんな判で押したように答えるんです。

 自分の遺伝子を残したいとか、間接的にでも父になりたいとか、そういうことは言わなくて、あくまで目の前にいる困った人を助けるボランティアなのだと。

花田 本当に恩田みたいな歪んだ征服欲があったとしても、それを取材では答えないだろうし。

川上 恩田については本当にいろんな感想をいただいていて(笑)。女性の多くは「恩田やばい」「ありえへへんやろ」「あんたあの箇所、悪ノリしすぎや」という感じなんですが(笑)、男性の意見は二つに分かれたんですよね。

 「けがらわしい。同じ男と思ってくれるな」って一線を引く人と、「俺たちはみんな恩田なんだ。俺の中にも恩田がいる」って言う人。

会場 (苦笑)

川上 後者の人に、もっと聞かせてくださいって言ったら、やっぱり夏子のような人が目の前にいて、その弱っている理由が自分の能力とか、采配しだいでなんとかなるかもって時に、どうしても発動してしまう支配欲みたいなものが、ほとんどの男の人にはインプットされていると思うって。

 でも、夏子じゃダメなんだって、緑子がたまらないんだって。

 あと、登場人物の人気でいうと、男女問わず、みんな緑子が大好きって言ってくれる。とくに男性はそうだけど、とにかくもう、これは昔からなんですが、緑子の人気が圧倒的にすごいんです。

花田 怖い怖い……。

川上 緑子は内面には言葉が溢れていて、自分の言葉を持っていて、想いが充実しているのに、言えない。自分で自分に抑圧をかけてる。そういうキャラクター造形がたまらないのだと。じゃあ「私のイチオシ、善百合子は? 」って聞いたら、「なんか、完成され過ぎちゃってて……」って(笑)。

花田 未映子さんの本を読むような男性であっても、ってことですよね。ご自身で加害性を自覚されていることは素晴らしいとは思うんですが。

川上 理想と自分が惹かれるものは別で──。つまり、正しさと欲望って、多くの場合は一致しないんですよね。正しさとかそういうのとはべつに、仄暗さとか劣情とか自分の「えっ」って思う部分が喚起されたり……。現実でそういうことが起きるとまたべつの対処が必要になってくるけど、読書しているぶんにはそこがすごく自由で、読み手が性別とは関係なく、本の中に書かれている性のどれにも憑依できる場合がありますよね。うまくいけば人間以外のものや、言葉や、意味そのものにもね。それが文学の、物語の面白さなんでしょうね。

 このほかにも、ポケモンの主題歌や『ドラえもん』で描かれるステレオタイプな女の子像、アメリカ女流作家による『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』についてなどトークはさらにヒートアップ。

 イベントの最後には参加者からの『夏物語』に関する感想発表・質疑応答も熱い発言が多く、川上さんから「あなたみたいな読み手がいてくれるなら私たちも純文学をもうちょっと頑張っていこうと思います」という言葉も飛び出した。

 読み手の数だけ万華鏡の様に印象を変える小説だからこそ、読んだら誰かに語りたくなる。そんな熱気に包まれたままトークショーは幕を閉じた。


『夏物語』を持ちながら、3人でパチリ。


●HMV&BOOKS ONLINEの記事はこちら

https://www.hmv.co.jp/news/article/1908131006/

川上未映子(かわかみ みえこ)

1976年大阪府生まれ。2007年『わたくし率 イン 歯ー、または世界』『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』で早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、08年『乳と卵』で芥川賞、09年詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞、13年詩集『水瓶』で高見順賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年『マリーの愛の証明』でGRANTA Best of Young Japanese Novelists、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞を受賞。他の著書に『すべて真夜中の恋人たち』『きみは赤ちゃん』『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹氏との共著)『ウィステリアと三人の女たち』など。17年には「早稲田文学増刊 女性号」で責任編集を務めた。


花田菜々子(はなだ ななこ)

1979年東京都生まれ。流浪の書店員。ヴィレッジヴァンガード、二子玉川 蔦屋家電、パン屋の本屋を経て現在はHMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEで店長を務める。自身の体験を書いた著書『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』が好評発売中。


新井見枝香(あらい みえか)

1980年東京都生まれ。三省堂書店にアルバイトで入社後、契約社員を経て正社員に。現在はHMV & BOOKS HIBIYA COTTAGE に勤務。独自に設けた文学賞「新井賞」や著者を招いた「新井ナイト」で知られる。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『本屋の新井』など。

文=濱野奈美子
撮影=白澤 正



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